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2007年12月のたみこさんの部屋

「K!!」

これは書いていいのかよく分からないのです。
でも書きたいのです。
だから読んだ人はココだけの話にしてください。タノミマス。

明けておととしの秋のある日のこと。門のところに

「スンマセーン!」

という声
見ると、ハンチング帽にサングラス、太い(金)のネックレスブレスレットオーストリッチのセカンドバッグをこわきにかかえた小柄な怖そうなオジサンが立っているではありませんか。

あぁ、この場合誰が矢面に立つのかというと、
やっぱり私しかいないよなァ〜、としみじみと納得して、

「ハイ、なんのご用でしょうか?」

と聞くと、なんと子どもを幼稚園に入園させたいとのこと。
「西幼」にたどりつく前に別の幼稚園に行ったら、
やれ「途中から入ると慣れにくい」
やれ「以前も慣れないで大変なことがあった」
などと言われ、結局断られてしまったとのこと。

でも、どうしても金のネックレスやシマシマの上着に目が行っちゃう私ですが、話を聞くと、なんだ普通のお父さんなのネ。子供を入園させたいと願うお父さんなのネ。
他で断られたと聞くとがぜん入園させたくなる私は、

「大丈夫よお父さん、入園できます。ところでお母さんはどこ?」

聞くと、断られたショックで、今、電信柱の影で泣いているとのこと。

「呼んでよ!大丈夫よ!」

お父さんオーストリッチのバッグをかかえなおして、

「オーイ、オーイ」(お茶かっ!?)

呼んでも、来ない。
私は上ばきのまま道路に出て迎えに行くと、ほんとうに電信柱の影から女の人が泣きながら出てきました。
思わず肩を抱いて
「大丈夫よ。幼稚園入れるからね。」
と何度も話しました。
ついてきた男の子「K」は、嬉しそうにすべり台をのぼりはじめ、幼稚園入園が決まったのです。

お母さんは韓国の方でしたが、言葉もどんどん上手になり、子どもも友達がすぐできて慣れないなんてウソ!楽しく過ごしていました。

でも、Kのママはビザ切れで申請中だったのよね。
金のネックレスのパパがグズグズしてるから、私はパパに「ちゃっちゃとせんか!!」とはっぱをかけていたのです。
ママいわく「パパはたみこさんには弱いです。言うコト、聞きマス」と言ってたから。

でも申請から許可までは大変時間がかかること、どうしても引越しなければならないことなどが急に浮上してきて、パパはもう、「心機一転新しい土地へ行く」と言って住むところを探している、とママが涙ポロポロ流しながら話しに来ました。

エッ!?

だってKはこの間年長の歌劇「オキクルミ」で力強く歌い、
みんなに感動を与えたばかり。
小学校にも頼んだし、
年長みんなで元気に元気に前を向いて小学校へ!!
というこのときだよ!!

必死で止めましたが、結局、 ママはパパのところに行く、 と決意をのべました。
お母さんの不安な気持ちも知っているし、
Kもこの幼稚園からはなれたくないハズ!
退園させたくない!  との気持ちでいっぱいでした。

でも、私は知ってるのよね。
パパもまた、在日の2世か3世で、Kのハルモニたちは、もしかしたら日本に無理矢理連れてこられて、名前を二つ使い分けたりしながらようやく、ようやく生きてきた人なのかもしれない。
そうやって苦労して苦労して、いろいろイヤになっちゃったのかも・・・。

K、本当に行っちゃうのか。

ママがその決意をした日、年長さんは柴又の帝釈天にあそびに行きました。気持ちのせいか、足が痛いとひきずっているKが心配で
「茂夫さんの車で帰る?」
ときくと、必死に

「いい! いい! みんなといっしょがいい!」

その顔を思い出すたびに私は泣いています。
ずっと泣いています。

卒園式にはきっと来てね。
別れを惜しむまつ組みのみんなの声がいつまでもいつまでも響いています。


2007年11月のたみこさんの部屋

「研修報告」

行けるかどうか予測が困難だったので黙ってたのですが、
「全日本私立幼稚園設置者園長全国研修大会」
なるものに行ってきました。
たまには全国の皆々様とふれあって・・・・と思いまして。

先生達には我が父からの家訓である

「出た者と死んだ者はあてにするな」

と厳しく言い置き(あまり守れなくて、メールが何回か入ったけどネ)、会場である名古屋へと向かったのです。

会場で一人座り、あたりを見回せば、若い人たちも多いのですねえ。
この仕事も、世代交代というのがあるんだよなぁ〜と、前の席の数人と私の隣のお兄チャン(?)とが話し始めました。
主に前に座ったお姉さんがしゃべります
(ぜひこれを言いつけたくご報告します)。

「ネエ〜 △○先生(先生を連発する、する。
 ゆうべ何時にホテルに帰ったの?
 私まるで覚えてないんだよネェ。
 最後に牛丼屋に寄ったよネ。
 一体焼酎何本空けた?
 あの店で三本? 次二本?
 連れて帰るのが就職の条件って私言ったよネ。
 ホテルにさぁ、
 レディースルームだからってチョコレートがあってさぁ、
 来たときには何でチョコなんだよ、と思ったけど。
 ハハハ。
 朝起きてみたら私ちゃんと食べてたヨ。
 びっくり!
 私まるで大食い女王のギャル曽根状態だったよネェ。
 ×○先生覚えてる?
 ヘェー。△○先生ちゃんと起きた?
(延々エンエン、つづく、つづく・・・・)

私がじっと聞いて×□先生も□○先生もみんなの顔もジロジロ見ていたって、全然めげないし声のトーンも落とさない。
こわそうなこのおばさんなんなのさ、といった感じ。

まぁいいけどね。

研修の前の晩にだれがどこでなにをしようが、なにを飲もうが、勿論知ったこっちゃないし
そんなのカンケーネェ。そんなのカンケーネェ。
だけどね。

記念講演はWHO(世界保健機関)のステキな女性のお医者さんが、感染症との戦いについてわかりやすく話して下さいました。

発展途上国での死者を弔う儀式・・・たとえば亡くなった人の口にふれ自分の口にふれ、その人の言葉を自分のものとし、頭にふれ、その人の記憶を自分の記憶とする。胸に染みるようなそんな儀式から、恐ろしい感染症が広がることもある・・・等。

で、

となりに座っているお兄さんはというと、

時計を見る、メールをする、
時計を見る、メールをする、
メールをする、時計を見る・・・。

落ち着かないったらありゃしない。

おまけに夜更かしで風邪を引いたらしく、鼻かんだそのティッシュをテーブルに置いとくのよネェ。その講演の後、席を替えたのであのティッシュちゃんと持ち帰ったのか気になって・・・・。

私もまるでこれじゃぁ、うるさい姑でしかないよな・・・
と自覚はすこしある。

幼稚園の先生だからってお酒を飲んじゃいけないとは言えない。

だって私も飲む。
かなり飲む。

でもなんかなぁ〜

幼稚園で泥団子をせっせとみがいているであろう子ども達と、アホでおバカな先生達が変に恋しくなった私です。

ところであとのお勉強は? ときかれると、

分科会(教育)で沢山、いっぱ〜い!

 

そして名古屋名物みそ煮込み
えびふりゃぁだがにぃ♪

 

家訓

「出た者と死んだ者はあてにするな」

そしてもうひとつ

「人のふり見てわがふり直せ」

以上、研修報告でした。

 

2007年10月のたみこさんの部屋

「指輪物語」

キャァ〜たみこさん、ゆびわ、かわいぃ〜〜!
いっぱいつけてるネェ〜
子どもたちは私の手を振り回しながら言います。

そう!

私の指にはいつも最低二つの指輪がキラキラと・・・・
(光ってはいないか。)

私はおしゃれだし、ファッショナブルだし、もっと言えば、かわいいしアクセサリーがとっても似合うので〜す。

でもこれって必需品とも言えるのです。

私は大学を卒業して以来、三回の産休をとりながらもずっと働き続けてきました。
ここ西小岩幼稚園に来る前は公立の保育園や実家の保育園で仕事していました。保育園には早番、遅番、中番という勤務がありました。
遅や中は間違えても支障はないのですが、7時30分までには子供を迎えなければならない早番。これを忘れると大変なことになるのです。
仕事に行くお母さんに「行ってらっしゃい」とニッコリ笑って言ってあげたいし。

で、
忘れそうになったときの、あのヒェ〜〜!!という感じ、
どうしよう!? 早番忘れたぁ〜
のあの感じは、まだ時々夢にみてうなされるほどです。

そしてあみ出したのが、指輪の術!

いつもの左手の薬指以外にすると
「アレ? 私なんでこの指にしてたんだっけ?」
と思い出すってわけです。

この方法でかなりのピンチを切り抜けました。
早番だけでなく、明日しなければならないこと、行かなくてはならないところ、人が来る、などなど、さまざまな用事が増えてきて、指輪は2個になりました。

だから右、なか指、くすり指、ひとさし指、といろいろ工夫しては、いつもと違う感覚で思い出しているのです。

でもネ、
この頃は指輪を動かすことを忘れる。

動かしたにしても、なぜ動かしたのかを忘れて、ただただじっと手を見つめている私がいます。

だれかもうひとつ、指輪買ってくれぇ〜!

 

2007年9月のたみこさんの部屋

私の入園説明会

先日、20年度むけの入園説明会を開きました。

ちゅうりっぷでさんざんお会いしたり、元園児がいたりする方も律義に来て下さったり(逆に説明してほしいっつーの!)

でもよく聞くと、

お母さんはもう幼稚園のことは説明されなくてもよ〜くわかってるから別に来たくなかったんだけど、子供が「先生に会いたい」と言うし、上の子は(在園児)鉄棒のさか上がりの練習をするというから来た!! 

と言っていましたから、あまり聞きたくは無かったみたいです。

私はこのまわりじゅうに沢山の幼稚園があること、車を使うとしたら、ほんとうによりどりみどりです。とお話ししました。
この西小岩に入園してください!!という思いより、入園説明会という公開の場で、幼児期をどう育てていくか、どんな力をつけようと考えるのか、そんなことをお話しさせてもらいたかったのです。

ピカピカの園舎、立派な設備・遊具、そして子供の好きそうなキャラクターつきのバス。
この西小岩にはそれらはな〜んにもありません。

でも人間は人間が育てるのです。人間の中で人間になるのです。
そこいらについて、きてくださったお母さんに伝えたかったのです。
子が親を、親が子を殺すこの時代。
なによりも大切なのは生命です。
何よりもつけたい力は生きる力です。
そして

お母さんやお父さんはどんな人間になりたいですか?
どんな人間になろうとしていますか?
そして、子供をどんな人間に育てたいのですか?

と問いかけました。

わたしのつたない話がどこまでどう伝わったかはわかりませんが、幼稚園選びの参考に、ひいては自分がいきることや人生を考えるきっかけになったりしたら、こんな幸せなことはありません。
西小岩のこの子たちは毎日の生活の中で、嬉しいこと、楽しいこと、そして時には苦しいこと悲しいことを共有し、昼間の兄弟のように育ちます。
この時代を生きる人間どうしとして。

 

・・・それにしても熱く語りすぎだよなぁ〜

 

卒園児でまた今度入園するだろう親が、
「久しぶりのたみこ節だぁ〜」と笑っていたらしい。

あぁ〜あ。

私はもう少し、クールな人にならなきゃいけないみたいだ。

 

2007年8月のたみこさんの部屋

 暑い暑い夏です。

今年は戦後62年ということでしょうか。戦争に関する新聞記事やテレビ番組が沢山ありました。
私はこう見えても(!?)気が弱くて気が小さくて気がやさしくて・・・
 (これぐらいでいいかしら?)
戦争の場面がとても苦手でした。

でも今年はちがいます。
戦争というものがどんなにむごたらしいものであるのかをじっと見つめました。

原爆で小さな赤ちゃんがまっ黒こげになって死に、ころがっているのもじっと見ました。やけどをおってそれでも乳を飲ませているお母さんのうつろな横顔もしっかりと見つめました。

戦争を知っている人たちが高齢化して、どんどん少なくなります。
その人たちが辛くて語れなかった戦争の恐ろしさを、次の世代に語らねばならないと思ってくださったようです。
お年寄りたちのたくさんのお話を、涙ポロポロこぼしてお聞きしました。

「教え子達を二度と戦争には行かせない!」

この教師達の誓いを、私たちはもう一度心に刻まねばなりません。
1学期さいごの終業式に、まつ組の歌う「おりづる」が、ずっと私の胸の中に響いています。

 

2007年7月のたみこさんの部屋

「蛙の主」

 幼稚園の前のお宅は、以前大きな敷地の古い趣のあるお宅で、池があったのです。その池には蛙が住んでおりました。
しかしあるとき、そのお宅が取り壊しになり分割されたので、池が埋められたのです。
 その年、お向かいのお宅から、何匹も道路を横切って幼稚園の小さな池(?)に向かう蛙の行列が・・・・。

 それ以来蛙達は幼稚園に住むことにしたらしいのです。
毎年幼稚園の池に卵をうみつけ、おたまじゃくしが百匹以上(!)生まれます。そのおたまを持ち帰り育てて・・・・蛙になったら、

えさは何!?

水そうで飼えるの?

 などなどお母さん達は大変です。

お互いのうわさ話をTELしたりメールしたりしている
どこかの幼稚園のママさん達に聞かせてあげたい。

 

わが園のママたちは、
おたま
の情報交換で忙しいのです。

 

 動くいき餌しか食べないらしいと聞いたお母さんの一人は、生肉を小さく切って糸につるし、ふり回したりして食べてもらおうと必死だったらしい。
 子供と相談して、近くの中川にかえすか、親水公園はどうか、いや、やはり「実家」の幼稚園にもどそうか・・・と。

 別の家族では、もし蛙になって食べられるものがなく、死んでしまったとしても、それはそれとして見せて、生命について考えようと決めた、など。

もぉ〜、

おたまと蛙は毎年たいへんなのです。

かくして幼稚園には、蛙が何匹も住みついています。
今どき、蛙がウロウロしている幼稚園ってアリですかねぇ。
この間のお泊まり会にも、大きな蛙が参加してぴょんぴょん。
子どもたちは大よろこびしてました。

 しかも年長さんは、もっと大きな「蛙の主」と、どうも交信があるらしく、時々手紙のやりとりとかもしているようです。

 ポストの下、ゴミ置き場、洗濯場、うさぎ小屋近く、池の近くなどにいるので、みなさん気をつけて、踏んだりしないでね。

 となりの幼稚園は、冷暖房ウォシュレットも完備だというのに、ここ西小岩幼稚園は、レトロな扇風機とよしず(!?)。おまけに住んでるのはウサギとカメと、メダカとひきがえるだもんねぇ。


2007年6月のたみこさんの部屋

「松竹梅」

 この頃の幼稚園のクラス名は、「ぞうぐみ」「ぱんだぐみ」はやりどころは、「そらぐみ」「ほしぐみ」とか、なんだか「カシオペア組」やら「オリオンぐみ」とか、横文字も多いとか。
 西小岩幼稚園は、年少が「すみれ」1組、2組、年中が「ばら」1組、2組、年長は「まつ」1組、2組。このまつ組は、一部のお母様の間、ママ達ののセレブなランチの会で大笑いになったらしい。

「まつ組」そんなにウケるかしらん?

 そのむかしは、青組、黄色組、赤組というのが「長・中・少」の一般的な名前でしたのに。ここでも以前は「きくぐみ、うめぐみ、ももぐみ」などの名前もありました。学年でいくつかのクラス数があるとなにがなんだかわからなくなる時もあったようです。

 まだ「うめ組」があったころのことです。
  途中入園で年長に松竹(まつたけ)さんという名前の人がくることになりました。その頃の年長は「まつぐみ」と「うめぐみ」。職員会議でどちらのクラスに入れるか話し合われました。

 まず人数の少ないほう。
 男女の比。
 いろんな決め方があります。

 でも・・・・・

 ここはどうしても「うめ組」に入ってもらわなければなりません。
「どうして人数の少ない松に入らないの?」
 と聞かれたらどう言おうか。とてもまじめに話し合いましたが、うまい言い訳がみつかりません。

でもそこはなんとか、グズグズ言って乗り切りました!

 そしてめでたく「まつ組の松竹さん」でなく「うめ組の松竹さん」。というめでたいことになった年がありました。
(うれしかったなぁ)

そして今は深く反省し、シンプルに「まつ、ばら、すみれ」となったわけです。

(ちっとも反省してないっつーの)


2007年5月のたみこさんの部屋

「行列のできる幼稚園」

 ちまたのうわさによると、入園の申込みのときには前日の夜から並ぶ!という幼稚園があるそうで・・・。

ふ ぅ 〜 ん

 って感じです。
 小岩地区ではゆったりしたものです(この園だけ!?)。当日決められた時間に提出してくれればなんとかなるのですから。しかもテストやら面接やら、抽選やらくじびきやらもいっさいナシで。

 でも、ここ西小岩にも、行列ができるのです。
 それはというと、就職活動の時期です。リクルートスーツに身を包んだフレッシュマンやフレッシュウーマン達が列をなさんばかりにやってきます。
 なにしに来るかというと、就職しに来るのです。
「就職するならこの園で!!」
 と語るのですが・・・・私は、

「ウ〜ン、わかった!! じゃぁだれかクビにしとくよ」 

 と答えるのです。
 そこに居合わせた在職員(とくに辞める気なしの)は、

「あぶないっ! 目を合わせるな!!」
「知らんフリしていよう!」

 と、とぼけます。
 そして園にリクルートスーツが近づくのを見つけると、

「来た! また来た!! 履歴書持ってる!!
 入れるな! 鍵閉めろぉ!」

 などなど騒ぎます。

 こうして私の机の上には履歴書が何通も置かれることになるのです。まさに行列のできる幼稚園。

 保育の学校では実習をするのですが、やはりいろんな園があるようです。自分に合うところと、そうでないところと。
 保育の場では学生さんたちも楽しくなくちゃね〜。
 実習が終わっても、時間があると遊びに来てくれる人、なかには他に就職しても来てくれる人もいます。そのせいか、なんだかこの西小岩には大人たちがいつも沢山いるような気がしています。

 そして、誰かが辞めるのをクビをなが〜くして待っている人も、何人かいるようです。子供も大人も(保育者もおうちの人たちも)、楽しい幼稚園でなきゃネ。

「楽しくなくちゃ保育じゃない!」

 それが私たちの合言葉です。

(とはいえ、人知れぬ苦労もそりゃぁ、あるのよねぇ)


2007年4月のたみこさんの部屋

「肝油 〜この恐るべき魔力!〜

幼稚園では帰りの時、お楽しみがあります。

それは「肝油」をひとつぶ食べること。

昔の肝油を知っているたみこさんにしてみたら、夢のようなおいしさ!
(油くさいというか、とにかく変な味で、 私はまわりのお砂糖だけなめてあとは窓からこっそりすててました)
帰りの時間になっても部屋に入ってこない子も、玩具をなかなか片付けない子も、「肝油食べるよぉ〜」のひと声で、「ハ〜イ♪」とよいお返事。

テキパキテキパキ。
保育者にとってはなんとも心強い味方の肝油様。

それをちいさなかわいい缶に入れ、子供たちの前に座ると、カラカラふって音をたてながら、
「チチンプイプイ、いちごの味にな〜れ」
「メロン味にな〜れ」
「ぶどう味にな〜れ」

次々どこまでも味を変え、 時にはパクッとほんとうに食べちゃったりもします。
すると子供の目は点になり、肝油缶だけで20分以上も子供を引きつけておくこともできちゃうんですから、これを肝油様と言わずになんと呼ぶ?

これほどまでに魅力にあふれた肝油ひとつぶ。

その魔力にとりつかれてか、いつもおいてある缶の位置が毎日ズレていて、おかしいなと気をつけて見ていると、コッソリ缶をあけて食べようとしている子とパチっと目があったり、お当番さんが「肝油まだもらってない人?」ときくと、元気に「ハイっ」と手を上げて、もうひとつぶもらおうとちえを(?)しぼったりする事件(??)にもソーグーします。

長いお休みには家でも食べられるように取り寄せシステムがあるのですが、あるとき薬局のお子さんが注文しました。

お家の人のいうことには
「幼稚園からたのんで! 幼稚園のじゃなきゃイヤだってきかないんですヨ。ウチも同じの売ってるんですけど」

そっかァ〜

この肝油はただの肝油じゃないんだね。
いっぱい遊んで、笑って、泣いて、このみんなとの時間を共有したその味なんだね。

輝く仲間たちの特別な味つけの肝油なんだね。

(河合肝油さ〜ん、嬉しいでしょう?
 今度買うときは10%オフでタノム!! byたみこ)

 


2007年3月のたみこさんの部屋

「実は魔法使いなんです」

知ってる人は知ってますが、私は実は魔法使いなのです。
でも、もう何千年も昔に覚えた魔法なので、呪文をほとんど忘れてしまったのです。

ただひとつ覚えているのは、「人を消す」ことです。

子供たちに集会の時に話しますと、
「ワァ〜! やってみて やってみて!」と大盛り上がり。

「ハイ!わかりました。では消してもらいたい人手を上げて」

と言うと、ハイハイ と手が上がります。
一番強そうな男の子を選び「では消します!」と宣言します。

「おっとそうだ!言っておかなければならないことがあった。私は、消す呪文は覚えてるけど、もとに戻す呪文を忘れちゃったんだよネェ。それでもいい? 消えっぱなしになっちゃうんだよネェ」

たまには「いいよ!」と強がって言う子もいるのですが、この魔法使いはぐずぐず言いつのります。

「でもさ、消えっぱなしだと、パパやママにも会えなくなるし、友達にも会えなくなるし、私もさびしいなァ〜」

消える体験を強く希望していた子もだんだん不安になり、見ていた子たちも、「やっぱり消さないほうが良いんじゃない」と言い出し、消えなくなりました。

それはもう10年も続いているので、知ってる子は「たみこさんは魔法使いだ」と知ってます。
この間いただいた年賀状にも「本当に魔法使いなのですか?」と質問事項が書かれていました。家でお母さんに真剣に「ネェ、たみこさんて魔法使いなの?」と聞く子がいるようです。
卒園させた親は私が魔法使いなのを知っていますので、「そうだヨ!」と答えているようです。たまに家であまりに言うことを聞かない子がいると、「たみこさんに電話してきてもらう!」とおどかす親がいるようですが、そういうことはやめてもらいたい。

こんなにやさしい魔法使いなのだから。

2007年2月のたみこさんの部屋

「菜の花」

先日、私の男友達が「西小岩幼稚園の良い子のみんなへ」とあたたかな房総から菜の花を沢山送ってくれました。
「房総はお花がいっぱいです。西小岩の良い子達に菜の花を送ります。食べないで、見てください。」と手紙がついていました。

園はそのときたまたま焼き芋パーティーの日で大もりあがり。
菜の花はバケツの中で飾られる時を待ちました。
ところが焼き芋の後は、お芋のみそ汁をつくることでまたまた大さわぎ。菜の花は・・・。

とうとうたみこさんは叫びました。

「ア〜ァ、この幼稚園に美しい花なんてあったってダメよネ。
 なんたって花より団子よネ。
 食べることしか頭にないのよネェ!!」


そして一人黙々と大量の花を切りわけ、
各クラスに飾れるようにしておきました。

ところが次の日もそのまま!
だれも教室に持っていく職員はいないのです。
カッときたたみこさんはまた叫びます。

「花を美しいと思う心はないのネ!
 子供にこんな美しい花を見せたいと思う心はないのネ!」


あわてた一人が各へやに菜の花を配りはじめました。
菜の花は次々黄色のかれんな花を咲かせ続けます。
残った菜の花を牛乳びんにさして、まつ組の女の子に
「2階の手洗い場に置いてね」
「下のトイレに飾ってね」
と頼みました。光のさす窓辺に美しく置かれました。

そして───。

牛乳びんにさす為に、みどりの葉っぱが大量に流しにたまりました。
そこへやって来たのがお話おばさんの藤田さん。

「アラ! おいしそうな菜の花だこと!
 ゆでて食べましょう!!」


たまらずたみこさんは叫びました。

「からし合えがイイ!!」

 

 

2007年1月のたみこさんの部屋
毎月の誕生会で誕生児の数をやさしく手を頭におきながら「ひと〜り、ふた〜り」と数えていたのに。

今はと云うと、こぶしを頭に打ちおろして数えることになっている。
それはこの園じゅうで「たみこさんのゲンコツコツコツ玉」とよばれて恐れられている。ある子は「ゲンコツ玉にしてくれ」ある子は「俺は強いからゲンコツコツコツ玉!をくれ」そして毎月「よ〜し!ではおなかに力を入れて、歯をくいしばれェ〜」と硬いにぎりこぶしに息までふきかけて力をこめる。

肩をすくめ、しっかりと目をつぶってそのコツコツ玉を受け止める子ども達(先月すみれで1人泣いた)これは云ってみればお正月、しし舞いのししに頭をかじられると、その1年健康にすごせるという、アレみたいなものです。

こわいけど、誕生会で「たみこさんのゲンコツコツ玉をもらうんだァ〜」と楽しみ(?)にしているのです。元気で楽しくすごしておくれ!の愛と希望の「ゲンコツコツ玉」です。
 

2006年12月のたみこさんの部屋

先日、事務室に「たみこさんに見せたいものがあります」と小さなふろしき包みを持って卒園生とお母さんが気のせいか得意気に入ってきました。
その包みをそぉーっと開けると「うん?これは?」まっ黒に光り輝くピカピカの泥団子ではありませんか!
幼稚園の宝として大切に保管されている、たみこ作の団子をはるかに超えたつるピカぶり「ウ〜ン、やられた!!くやし〜い!!」きくと卒園した後も熱心に泥団子づくりに挑戦し続けての道場破りらしい。よし!受けて立とうではないか!

こうして今日も1人団子をみがくたみこである。

どこまでも硬く、どこまでも丸く、そしてピカピカに光らせる。
道のりははるか! いっしょにがんばろうぜ

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