「 バザーを途中で抜け出す 」
運動会が終わりました。
「みんなは1人のために、1人はみんなのために」
ひとりずつが輝くことで全体がきらめき、それによりひとりひとりが美しく、強くなりました。
西小岩幼稚園には、ハンディをもった子が何人かいます。
その子たちをふくめての、みんなの運動会です。できることも、できないこともあっての、みんなのみんなの運動会。
私たち職員は、ハンディを持つ子ひとりひとりが、どう動いたらいいのか、みんなで考え合います。
電動車いすで華麗に旗のまわりを回るのはどう?
など。
技巧台を上り下りするときは車いすで動ける斜面板を特注! 別のハンディをもつ子は、入場のときは抱っこするか、かけっこは自分で動きやすいように本人にきいてみる、玉入れのときはどうサポートしたら楽しめるかしら?
など、ひとりひとりについて細かく全職員で相談します。
もちろんハンディをとくにもたない子についても、自分の力をとことん発揮させたい!と話し合いを重ね、運動会へとつなげていきます。
あたたかな声援と拍手の中、
どの子も、どの子も、輝いていました。
正直、この幼稚園、ハンディを持つ子が多い。
多すぎるかも。
そんな声もきっとあります。
それなら先生の手がそっちにとられて大変なんじゃない?
など、心配する方も。
でも、
ハンディがあるという理由で幼稚園に入れないというのは、
なんで?
ハンディがあってはいけないの?
他の幼稚園で断られるのはどうしてなの?
この幼稚園では、ハンディがあるなしにまるで関わりなく接している子どもたちがいます。
歩きにくそうならよいしょとかかえたり、車いすなら押したり、立ちにくそうなら手を貸すし、ただただ「自然」です。
在園児のお家の方達も、いつも、どんなにかあたたかく見守り励ましてくれているか!
運動会でも自分の子と同じように涙をためて応援してくれて、自分が学ばされた、励まされたと熱くおたより帳を書いてくださる方も沢山いて、嬉しいことです。
年長さんのMは、装具をつけてあの長いトラック1周のリレーをみんなといっしょの距離走り通しました。
Mのママからのおたよりにこうあります。
M「リレーのとき、泣きそうだったんだ」
ママ「どうして? 長くてつらかった?」
M「なんでかっていうと、幼稚園最後の運動会だから」
(私たちがMの走りを涙を流して見ているとき、Mはそんなこと考えながら一心に走っていたのネ。拍手がずっと聞こえてたものね。)
ママのおたよりは続きます。
「私が考えているちっぽけな虚栄なんかより、よっぽどMは大人・・・」
「はっけよいの会 −西小岩幼稚園ハンディを持つ親の会−」
藤田さんの子分、大江さんを親分にして、お母さんたちみんな悩みながらもしっかり前を向いています。
私、誇らしいです。自慢です。
私たちはハンディがあろうがなかろうが、ここに子どもがいる限りいっしょに精いっぱい生きていきます!(決意表明か?)
ところで、
ですね、
11月7日(土)私の敬愛する「近藤益雄」先生(詩人、教師であった人。自ら生命を断って45年の障がい児教育に生涯を捧げた人)に学ぶとする講演会(清水寛
先生)のために、私、走ります。
12時頃に私いなくなります。
バザーの人、さみしいだろうけど、ガマンしてね!
たみこさんは
「人間のねうちを本当に平等に大切にする世の中」
(近藤先生の願ったコト)にむかうから。
理想の旗を高くかかげて、
いっしょに旗を持つ人と共に、
ヨロヨロでも歩きますから─。
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