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2010年12月のたみこさんの部屋


〜 直チャン 〜

直チャンは今、育児休暇中の職員です。
16年前に西小岩幼稚園幼稚園にやってきました。
前の職場では決められた通りの保育しかしてなかったから、西小岩に来て子どもと思いっきり遊びたい・・・と。
毎日嬉しそうに仕事していました。

しばらくたつと、心細そうにつぶやきました。

あぁ〜、西小岩では子どもと遊んでいればいいというわけではないのですよね

私は答えました。

もちろんよ。遊んでいればいいわけではないよ。直チャンは、どんな子に育ってほしい!?

ハッとした直チャンの輝く瞳があり、
どんどん保育が変わってきました。

それから仕事しながら恋をして結婚して、
第一子を産み保育園に預けて仕事し、
第二子を産みまた産休を取り、
復帰し、
その間には他の職員が産休をとることもあり、
それらをめぐって職員同士が大いに議論するという場面もありました。

休んで早く帰ることも多いし、
独身がいろんな場面で支え続けている。

なんか損しているような

ズルいような気もしないか?

と、いろんな思いを正直に出し合い、私も3人の子どもを産休をとりながら育てたので、私なりに話し合いに参加しました。
私の前にも大変な思いをして子どもを産み仕事をし続けてきた先輩達のこと。その先輩たちが歩んで、踏み固めてくれた道を私も歩いてきたし、西小岩幼稚園で働く人は、できたらず〜っと仕事を続けてほしい。
産みたい人は結婚しようがしまいが、
産めば良いのではないか!
みんなで育てよう!

みんな産みたければ産もうよ!!

男性保育者もいるのにその人たちにも「産めぇ〜〜!!」と。

沢山の話し合いのなかで、
西小岩では
「できるひとがやる」
「やれることはやる!」
と大きな太い流れが自然と出来てきました。

今やお母さん保育者は5人(準職も合わせて)、子どもの数は11人!!(孫か?私の・・・)直チャンは3人目を覚悟して産みました。
3回も同じ職場で産休とるってスゴくない!?
私がいつもからかっています。

テヘっ」と笑ってた直チャン。

幼稚園に顔を出すたびに、子どもや職員たちみんなにおなかをなでられながら、3人めの子どもが産まれました。

そして、
その子には、腎臓に重い病気がありました。

復帰を待つお母さん方に、直チャンは懇談会に出席して我が子の病気のことを語りました。
そして、どんなにか仕事に戻りたいかを涙ながらに語りました。
もうすぐ卒園する直チャンのクラスの子は、直チャンがたまに顔を出すと、心から笑顔で応えます。お母さん方は、先日の発表会での子どもの姿をDVDにして直チャンに送ってくれました。

透析をするための手術が終わり、目指すは腎臓移植です。
そして直子さんの目標は、西小岩幼稚園への職場復帰です!
私たち職員は、重い病気を抱えた我が子に、
産まれて来てくれて、ほんとうにうれしい
と言いながら、職場に戻ることを願い続けている直チャンを、心から誇りに思っています。

待っているよ。

直チャン!!!


2010年11月のたみこさんの部屋


〜 女の子は、女のトイレ!! 〜

年少さんで入園してくる女の子の中では、男の子のトイレを初めて見る(!)ということもあります。

その華麗なる(?)立ちスタイルに、いたく感動し、「私も!」と果敢にチャレンジする女の子がいても、ま、不思議はないかも〜。
私たち保育者は、「きっと失敗する。そしたら、別の(女子用の)トイレでしてくれるだろう」と、どうしてもダメとは言わずに見守ることもあります。

そこらじゅうをぬらして「アレ?」って顔をしてくれるといいのですが、時々どうしたことか、なんとも上手に(?)できてしまう子もいるのです。

試行錯誤を重ねて
「何の支障もございませんが、なにか?」
という顔をし、それでもかなり習熟したうえで、
「なんか、ちがうみたいだ・・・」
と気づき、私たち大人の誘いにのって、男の子のトイレから卒業する子もいます。
で、それを見た年長の女の子が(もしかしたら自分も試したかもしれないケド)もうお姉さんだから小さい人にはきちんと教えなくては、と
「女の子は、女の子トイレでするよ! 恥ずかしいよ!」
と言ってくれるのです。

お〜。

恥ずかしいか〜!

と、お姉さんの言葉は頼もしくもあります。
でも、こんな時のこと、この子達はすぐに、ケロリと忘れてしまうにちがいないけど。

私は、今思い出しても、ちょっとひとりで赤くなることがあります。

学生時代、ちょっとお酒を飲める年になって、うれしくみんなでチョロチョロしていた頃。(昔々のことです)道には「靴みがき」を仕事とする人が多くいました。
若い人が、自分のお父さんよりも年上の人の前に靴をつき出して磨いてもらっている姿を見て、叫んだ人がいます。

「信じらんない! 
えらそうに! 
きたない靴を磨かせる人なんて大キライ!!」

まわりにいた何人かは、
「そうだよね、そうだよね」
と同調しましたが、
ひとりの友達が、

「でもサ、あの人たちは、靴磨きを仕事としているんだよね。
 偉そうにしようが、どうしようが、
 靴磨きを仕事にしてるんだから、
 足つき出すのが申し訳ないからって誰も来なければ、
 仕事にならないって話だよねぇ・・・・」

そ、
そうだよネ。

なんか、
「信じらんない!」
と叫んだ人の発言って、

薄っぺらい〜。

軽い〜。

恥ずかしい!

そう。
うすっぺらは、私でした。

あぁ〜あ。

思い出すたび、恥ずかしい。


2010年10月のたみこさんの部屋


〜 母の運動会 〜

母が亡くなって何年になるのか、あまりに年月がたちすぎて、私にはとても数えられない。
69歳で亡くなるまで、葛飾区の金町で幼稚園の園長として子供達に囲まれていました。

私がまだ学生の頃、用事があって母の幼稚園に行ったときに、おひさまのあたる保育室に母がいて、女の子たちがまわりで遊び、そのなかの1人が母の髪にさわっていました。

「しらがをね、抜いてもらってるの」

それは家では決して見せないやわらかな幸せそうな笑顔でした。

運動会や発表会ともなると、レコード(その頃の)をかけては、家でお遊戯の振り付けをします。
私もかり出されて、「何歳児には、この動きはどうか」としゃべりながら、何度も何度もくり返しては、踊りをつくりあげるのは、私と母との楽しい作業でした。

かり出されるのは、踊りだけでなく、
子どもの記録などにも及びました。

ノートを広げた私の前で「その子」について母が語ります。
どんな子かを楽しそうに、時には悩ましそうに。
私はそれを聞いては「仲間に対してはどうなの?」など、質問しながら記録をして行くのです。どの子のことも母を通してよく知っているような気になったものです。

親子関係はそれほどうまくいっていたわけではないのですが、このときばかりは仲良しの私たちでした。

こんなこともありました。

私が母の幼稚園でなく、父の保育園で仕事をしていた時に、幼稚園の夏休み中に、1人の子を保育園に預かってほしいというのです。
なんでも、その子のお母さんがどうしてもしごとをしなければならないので、預かってほしいとのこと。母はその子のお母さんの大変さを思って、

「保育園に夏休みの間だけ入れさせて!」

でも私は、その子が急に保育園に来て、知らない集団に入れられて、休みが終わると急にまた幼稚園にもどされるというのはどうなのだろうと、断りました。

すると母はひどく怒りました。

「意地悪!」

「けち!」

「人でなし!」

と。

でも、なかなか高度(?)なケンカをしていたとも言えますが(?)(笑)

なつかしいです。

 

私の部屋には母が運動会で踊っている写真があります。

時々小さな花を横に飾り、その写真に話しかけたりしています。
母が踊っている、うしろの方では、その頃の園児とお母さんが一緒に写っています。

みんながなんとなく母を見ながら踊っているようです。
亡くなる前には認知症の症状が出ていた母です。
この写真の頃はまだ踊りを最初から終わりまで全部覚えられていたのね。
まちがえたりしたら、みんなマネしてるんだから、大変なことでした。

そんなことを思い出しながら、写真を見つめます。

先日(雨のなか)校庭と体育館での運動会、
皆さん本当にお疲れさまでした。

「感動しました」

と言ってくださる方が多くて、嬉しかったです。

わが園の子たちは私たちの誇りです。

そんなせいでしょうか
(どんなせい?)

私、その写真を見ていると、
踊っているのは、母ではなく、
私のような気がしてしまうのです

 


2010年9月のたみこさんの部屋


〜 ごめんなさいネェ ご近所様! 〜

また、ご近所に怒られちゃいました。

数年前になるかしらん。
小学校に上がった卒園児が嬉しく楽しく幼稚園にやって来て遊ぶ「ひまわり」の日。
電話がかかってきました。

うるさいです!! なんでこんなにうるさいんですか!?

ど、どなたサマ・・・?

具合悪くなります。神経がキィーってなるんです!!

・・・申しわけないコトです。

すみません。小学生達も自由に遊ぶ場所も少なくなってるし、幼稚園の時の先生と遊ぶのを楽しみに来てるので・・・
と一生懸命、冷静に話してみました。

そのころ、ちょうどドッヂボールがさかんで、職員達も楽しくて大はりきり。
ワァ〜ワァ〜キャ〜キャ〜さけび、
おまけにピーピー笛ふいてましたから。

とりあえず、まずは、大人が声を張り上げるのをやめます。笛もふきません。時間になったら、即、やめて帰ります。お代官サマ、そのへんでなんとかゴカンベンを・・・

とお願いしてみたのですが、

小学生なら、小学校で遊べばいい!
 幼稚園に来て遊ぶこたぁない!カンベンならぬ!

とのお言葉。

とにかくワァ〜キャァ〜言ってる大人の口はチャックに笛はとりあげ、時間になったらとっとと帰らせ・・・とやっていたのですが。

たしかにうるさいことはうるさい。

先日読んだのにも、自分の好きな音楽は大音量でも平気だけど、にくらしいおとなりの音は、風鈴だってうるさい、と書いてあったし。
なるほどネェ。

でも、

この幼稚園は60年近くも前からここにあって、子どもの声に満ちているのです。
子どもって、大声で笑って遊んで泣いて、大きくなるんではないでしょうか?

うるさいからと公園が使えなくなる話もありましたネ。
おととしの運動会の時も「うるさい!」とどなってきた人はいたし。

むずかしい!

どうやって対応するのか、わからなくなりました。

私って、なにせ、
ホラ、
良家の子女、
ハコイリムスメでセケンシラズ

って言うんですか?

ト・ホ・ホ・・・・(笑・汗・涙)

そして先日も「ひまわり」で遊んでいたら、ご近所様に怒られた!

子どもがうるさい、声がうるさい、遅くまでうるさい!と。

対応したのはヨッシーとちかチャン。
ひたすらお聞きしてスイマセンを連発するしかありません。
怒られたからといって、
「わかりました! 遊ばせません。
 静かに部屋に入れておきます!」

とは言えません。
ご近所様は「教育委員会に言う!」とのこと。
スミマセン。教育委員会に言われても・・・
別にこわくありません。
(かわいくないんだよネ。こういうところ・・・)
ヨッシーやちかチャンも、たみこさんに言ったところで、どうにもなるものでもないと思ってくれて・・・。
(守られてるよなぁ。私。 涙)

そう。

私は考えてあげたい子どものいろんなことが頭にあるし、支えてあげたいお母さんのこともずっと思っているし、かなりいっぱいいっぱいなんです。

ご近所サマ、

謝ってすむなら、

いくらでも謝ります。

でも、

どうしたらいいのかは、ちょっと・・・(?)
なのです。
うまくおつきあいをしなさい。
いい年した大人なんだから、
ということでしょうが、

ごめんなさい。私、ムリかもしれません

ア〜ア。

誰か、助けてくれぇ〜!

園長かわってくれぇ〜!!

 

2010年8月のたみこさんの部屋


〜 2つの研修会 〜

暑い!!

普通ではないこの夏に、二つの研修会に参加しました。

ひとつは、なんたら法人のなんたら総合研究所の主催でした。
一文に「軽装で。ただし、Tシャツ、ジーパンは不可」と。

えっ?

結婚式じゃないよネェ。

私が行くのは研修会だよネェ〜。

行ってみたら、確かに!!
私の持っている服とは明らかにちがう、スーツ系の服を着て、あろうことか(?)ノートパソコンをサッと広げたりするお姉さん達がいます。

障がいをもつ子の話も出て、私も研修に来たからにはと、なんとか話をするのですが・・・・

スースーと風が吹き抜けるような、

ビシバシと壁にぶちあたるような、

いってみれば、なんだかしらないけど、

「通じない」。

心を込めて話せば、人は人として必ずその言葉は伝わると固く信じている私ですが、何時間かすると「あきらめ」に似た思いが・・・・。

私、なんでこんなところに来ちゃったんだろうか・・・・。スゴスゴと、スーツではない、ジーパンではない服の私は帰りました。

でも、だからこの研修がどうのではなく、
まったくもって私の力不足なのですが。

そして、次の研修会は「全障研」。
障がいを持つ子のことを学ぶことはもちろん、そこには、どの子にもつながる「発達」のこと、そして、人と人とのつながりをねがうことが、大きくうたわれています。
かなり集中して学習講座で学んだ私は、昨日の私とはちょっと違っていました。

そう。

お泊まり会を終えた年長さんのように
(!?)

よし!
幼稚園に帰って、
この話を先生達にしてみよう!
そうだ!
やっぱりあの子のことは、もう少し別の見方をしても・・・。
など、心と身体いっぱいに話したい、学びたいことがあふれてくるような研修でした。

でも私が一番気に入ったのは、私くらいのおばさんが(・・下か?) Tシャツと短パンで、頭にはタオルでねじりはちまきして、汗だくで会場案内をしている姿。

私はやっぱりこっちの方が息が深く吸えるし、落ち着く!

暑い暑い

夏の二つの研修会報告でした。

 


2010年6月のたみこさんの部屋


「 唇をかんで・・・ 」

ずう〜っと前のこと!

先生! 家の前にまたいる!

と園児のママから電話がかかってきました。

だ・・だれが?

いつもいるのよ! じっとこっちを見てる! どうしよう!?

と、電話の声はせっぱつまっています。

わかった! すぐいく!
と、かけつけてみると、その家の前にはパトカーがとまっていて、入ってみるとママが若いおまわりさん2人に向かって必死に説明しています。

聞くと、ここのところず〜っと
変な男の人が家の前に車をとめてこっちを見ている。 こわいのでなんとかしてほしい、と涙ながらに訴えています。
おまわりさんは困り顔で、

おまわりさんの家もね、危ない人に狙われないとも限らないけれどネ・・・・

などと話している。

どうも、ママには被害妄想があるようだ。
本人はパニック状態で、その恐怖を一生懸命訴えているのだが・・・。 おまわりさん達は、どうすることもできないと、帰りたそうにしているし、本人は、1人で家にいられない・・・と。

ママは、
私、幼稚園に行く!
と言い出した。

我が子が遊んでいる幼稚園にいれば安心かもしれない。
ほっとしたおまわりさん達と別れて、ママを幼稚園に連れて帰ってきました。

静かなホールのすみでママは少しずつ落ち着きをとりもどしました。

ママは、外国の方でした。

日本にいらして結婚して、子どもを産み、入園したのでした。
言葉もそんなにタンノウではないし、文化の違う日本での子育ては、それはストレスに満ちたものだろうと想像されます。

そういえば、父母会で、行事のお手伝いをしてくれた時のことです。
先生! あの人が私をすごいこわい目でにらむの!
との訴えがあったのです。
にらむと言われた人は、これ以上やさしい人はいないよというほどのおだやかな方。 思い過ごしかもよ。と何度か話したのですが、
ちがう! あの人が私を嫌ってにらむ!
と言い張ります。
なにかのいきちがいなら、その誤解は解いてほしいし、気持ちよくママ友を増やしてほしいとの切なる願いもあり、私は信頼してその「にらむ人」と言われている方に話をしてみたのです。

その方は、
エッ!?
とただ驚くばかりでした。
なんの覚えもないとのこと。

その誤解を解くことはできず、ニラムとされている人の心に、ただ深い傷をつけてしまったのです。
そんな事がパトカー事件のしばらく前にあったのでした。

ホールのすみにうずくまるママをどうしてあげようもなく、私はパパに連絡をとりました。
間もなくしてパパが幼稚園に迎えにいらっしゃって、おだやかに帰っていきました。

そして・・・

無事卒園していきました。
センセ! ありがとう・・・
ママは卒園の日に私をしっかり抱きしめてくれました。

私は事務室で職員に相談をしました。
「ニラム事件」は多分、ママの病のなせるワザだったんだネ。
「パトカー事件」があったからわかったことだけど。
私は誤解を解こうとしたのだけれど、にらんだとされている人に申し訳ないことをした。そのことについては話をした方がいいかどうか、どう思う? と。

もう時間がたってしまっているから、今更むしかえすのはどうか、一過性とはいえ、病のことを言わねばならないのはプライバシーの問題もあるし、等々、話し合われました。
でも私は、その心のやさしい人が、"ニランだ"とされて、とてもびっくりしていること、どうしてそう思われてしまったのかと、ずっと悩んで悲しんでいただろうことが、申し訳なくてなりませんでした。

卒園して"どうしてる?"という世間話ついでに・・・
と、ある夜、電話をすることに決めたのです。
"元気にしてますか?" 等の話のあとに、「実はネ・・・」と、そのママが、一過性の不安定なときがあったのよ、と。ニラんだ、とは多分ただの思い過ごし・・苦しめたよネ、ゴメンネ。と。

ママは泣いていました。
話してくれてよかた。胸にやっぱりつかえていたよ
と言いながら。

本当にごめんね。

傷ついたよね。

と、
今でも胸が痛みます。

どうするのが一番よかったのかは、今でも分かりませんが、心を暗くしている人がそばにいれば、なにかできることはないかと、やっぱり思ってしまいます。
おせっかいで、トホホな私。

時々自分が情けなく、唇を噛みしめて、空をにらみます。

 


2010年5月のたみこさんの部屋

「 約束 」

元気に新入児がやってきましたっ!!

今年の新入児は、あまり泣かないのです。
初日はうでまくりして、泣きわめくであろう新入児を抱っこしようと大張り切りしていたのですが、大泣きさんは・・・・??
ま、ちゅうりっぷ(2歳児クラス)にいた子が多いし、
こんなものか・・・と少々拍子抜け。

(正直なところ、「オモシロくないなぁ〜〜」)

10年以上前のこと。

お姉ちゃんを卒園させたお母さんが次女を入園させたい、ついてはちょっとお話があります、と、事務室にやってきました。

今私が座っている席の隣の椅子に腰かけて、おしゃべりしました。
(昨日のことのようです)

先生、私、今の若いママたちとうまくやっていけるかしら・・・
なに言ってんの。年なら私も負けないよ! 私がいるじゃない!
そうネ。先生が頼りよ・・・

そして

ママは自分が病気なのだと打ち明けてくれました。

静かな口調の中に、あきらめに似た覚悟が感じられたのですが、表情はあくまでおだやかでした。
私は約束しました。
一生懸命その子と向き合うことと。
できることは何でも手助けすること。
その子が幼稚園で楽しくお友達とすごせるように、ずっと育てていくこと、を。

お願いね

そう言ってママは帰って行きました。

入院したため入園式にはパパが出席。
そして、入園して間もない、父母会の総会の日が、ママの告別式でした。

こんな小さな子を残して逝くことの無念さを、お母さん方も感じてくれたそうです。
告別式では、お姉ちゃんのそばで、わけもわからず、はしゃいでいるその子がいました。

パパはおじいちゃんおばちゃんの助けをかりながら、懸命に姉妹を育てました。
幼稚園にくると、その子は時々わけもなく何時間も泣き続けました。
そんな時、どうしてあげることが出来るでしょう。
ただただ、抱きしめて、背中をなで続けるしかありませんでした。

5月の遠足にはパパがつきそってくれました。

パパはあちこち気になって落ち着かない私のかわりに、長い列の先頭を歩いてくれていました。
係の人がパパに「園長先生!」と呼びかけます。
(その後、在園中そのパパはずっと「園長先生」と呼ばれ続けたのは言うまでもありません)

大きな原っぱのさきに橋があって、下には小さな川が流れていました。
子どもたちが思い思いに川に葉っぱをなげたりしていたら、パパが器用にかわいい笹舟をつくって、浮かべてくれたのです。

ゆうゆうと船は流れて行きます。

私はその子と手をつないで、船が流れて行くのを見ていました。
ゆらゆら
ゆらゆら・・・・

その子は、その後も時々、何時間も泣きました。
そして、元気に卒園していきました。

「たんぽぽ(預かり)の子に紙芝居読んであげる!」と、
時々幼稚園に顔を出してくれるのが嬉しかった。

この何年かは幼稚園に来ることはないけれど、パパとは年2回はお便りで話します。

事務室で仕事していると、時々、そのママが座っている気がするのです。

ママ!

私は約束を果たしているだろうか?
その子につながる、どの子にも、
まっすぐに向き合っていくという、
大切な「約束」を。

 


2010年4月のたみこさんの部屋

「 約束 」

元気に新入児がやってきましたっ!!

今年の新入児は、あまり泣かないのです。
初日はうでまくりして、泣きわめくであろう新入児を抱っこしようと大張り切りしていたのですが、大泣きさんは・・・・??
ま、ちゅうりっぷ(2歳児クラス)にいた子が多いし、
こんなものか・・・と少々拍子抜け。

(正直なところ、「オモシロくないなぁ〜〜」)

10年以上前のこと。

お姉ちゃんを卒園させたお母さんが次女を入園させたい、ついてはちょっとお話があります、と、事務室にやってきました。

今私が座っている席の隣の椅子に腰かけて、おしゃべりしました。
(昨日のことのようです)

先生、私、今の若いママたちとうまくやっていけるかしら・・・
なに言ってんの。年なら私も負けないよ! 私がいるじゃない!
そうネ。先生が頼りよ・・・

そして

ママは自分が病気なのだと打ち明けてくれました。

静かな口調の中に、あきらめに似た覚悟が感じられたのですが、表情はあくまでおだやかでした。
私は約束しました。
一生懸命その子と向き合うことと。
できることは何でも手助けすること。
その子が幼稚園で楽しくお友達とすごせるように、ずっと育てていくこと、を。

お願いね

そう言ってママは帰って行きました。

入院したため入園式にはパパが出席。
そして、入園して間もない、父母会の総会の日が、ママの告別式でした。

こんな小さな子を残して逝くことの無念さを、お母さん方も感じてくれたそうです。
告別式では、お姉ちゃんのそばで、わけもわからず、はしゃいでいるその子がいました。

パパはおじいちゃんおばちゃんの助けをかりながら、懸命に姉妹を育てました。
幼稚園にくると、その子は時々わけもなく何時間も泣き続けました。
そんな時、どうしてあげることが出来るでしょう。
ただただ、抱きしめて、背中をなで続けるしかありませんでした。

5月の遠足にはパパがつきそってくれました。

パパはあちこち気になって落ち着かない私のかわりに、長い列の先頭を歩いてくれていました。
係の人がパパに「園長先生!」と呼びかけます。
(その後、在園中そのパパはずっと「園長先生」と呼ばれ続けたのは言うまでもありません)

大きな原っぱのさきに橋があって、下には小さな川が流れていました。
子どもたちが思い思いに川に葉っぱをなげたりしていたら、パパが器用にかわいい笹舟をつくって、浮かべてくれたのです。

ゆうゆうと船は流れて行きます。

私はその子と手をつないで、船が流れて行くのを見ていました。
ゆらゆら
ゆらゆら・・・・

その子は、その後も時々、何時間も泣きました。
そして、元気に卒園していきました。

「たんぽぽ(預かり)の子に紙芝居読んであげる!」と、
時々幼稚園に顔を出してくれるのが嬉しかった。

この何年かは幼稚園に来ることはないけれど、パパとは年2回はお便りで話します。

事務室で仕事していると、時々、そのママが座っている気がするのです。

ママ!

私は約束を果たしているだろうか?
その子につながる、どの子にも、
まっすぐに向き合っていくという、
大切な「約束」を。

 


2010年3月のたみこさんの部屋

「 酒とバラの日々 」

3月20日、晴れやかな笑顔一杯に40名の子どもたちが卒園していきました。

もうすぐ一年生。

幼稚園でつけた力でしっかり前を向いて歩いて行ってほしいです。
ずっと心から応援していきます。
あなた達をこんなに愛した私たちがここにいること、どうぞ忘れないでください。

 

ずっとずっと前の卒園式の日を思い出します。

 

4歳で入園してきたYは、いつもどこか不安げな顔をして、私たち保育者はいつでも心を開いてもらえるようにと接していました。

送っていくコースにママが待っていることは少なく、お家まで行くと、ママがいなくて、メモを残して待ったけれど、暗くなってから「頼まれた」というヒトが迎えに来た。なんてことも重なり、私は「どれどれ、ちょっくらママとおしゃべりでもしてみよう」とお宅までノコノコ出かけていきました。

大きなお家の広いお部屋には化粧品類と、なぜか通帳が散乱していて(う、うらやまし〜〜ぃ!!)、ママは私の訪問をいぶかしがることもなく、子ども達が夫の実家(近所の)に遊びに行っていること、夫が一生懸命働いてくれることなど、機嫌良く話してくれました。

Yがなんとか楽しい幼稚園時代を過ごせるよう、ママと仲良しになりたいと思った私も、精一杯ニコニコおしゃべりしていました。

するとママが、
センセ! これどう?
と、何か飲み物が入ったビンのようなものを出してきました。

ママには、お酒を飲み過ぎる、だからお迎えに来られなかったりする・・・・というウワサがちょっとあったのです。
本当のところは分かりません。

ただその飲み物を出されたときには、
もしかしたら、ん? お酒か?」と思いました。
一瞬返事をするのに迷いました。

酒なんて飲んでるんじゃない!!

と怒鳴ったってしょうがないし、
もおいっそ一緒に飲むか!? 
どうする?どうする?ワタシ!

するとその時です!

電話が鳴りました。
パパが、ママの居場所を確認する。
子どもの様子を聞くついでに、ママの様子を確かめる。
そんな内容の電話でした。

(パパは子どものこと、ママのこと、心配していたのです)

電話を切ったママは、その飲み物を指差して笑いました。
センセ! これ、麦茶! 麦茶!
と、さっさとしまっていました。
心からほっとする思い。
そして、仲良くなったママと私でした。

相変わらずママはちょっと頼りなかったけれど、なんとかかんとか、様子を見ながら、Yには笑顔が見られるようになりました。

そして迎えた卒園式の日には、パパが来てくれました。
ママは?」と聞くと「謝恩会には来る」と帰って行きました。

式後にお母さん方が開いてくれる、謝恩会。
親子で食事しながらの楽しいひと時をすごすことになっています。
Yだけママが来なかったらどうしよう・・・
と私は門のところで待ちました。

もうみんなが席に着く頃、ママがやって来ました。
ア〜よかった。ママよく来てくれたね。Yちゃん待ってるよ
と駆け寄ると、まっすぐ水道のところに行き何度かうがいをしたり水を飲んだり。

(子どもの卒園が嬉しくてゆうべ飲み過ぎた?)

しばらくそばにいて、心ゆくまで水を飲んで、私に肩を押されて、謝恩会会場に入りました。
ママの登場でほっとした笑顔のY。

そんなママはお花が大好き。
よくお花の話をしました。
小門の脇にあるバラ。
真っ赤なバラ。

あれはたぶん、そのママが「センセ、バラは簡単に根づくよ! ここに植えてみるよ」と差して行ってくれたのかもしれない。
毎年、1輪か2輪咲いてくれる(気取って門のところにアーチみたいにしようと思ったけど、トゲが気になるし、たくさんは咲かないし、中途半端っていえば中途半端な)真紅の大輪のバラの花。

卒園式の頃になるといつも思い出します。

バラが咲くと、元気にしてるかなと気になります。

旧まつ組さ〜ん 卒園おめでとう!
なんかあったらいつでも来てね。
困ったことがあったら言ってね。
いつでもどこでも飛んで行くからね〜!

大好きだよぉ〜!

 


2010年2月のたみこさんの部屋

「 車中歓談 〜 超幸福 〜 」

水元公園に向かう幼稚園の車(貧乏幼稚園だけど、車いす対応の車があるんだい!)での会話です。

作品展が終わり、年中さんは先日大好きな水元公園に遊びに出かけました。
バス組と車組にわかれて出発、現地で集合です。

その車の中の話。

Aは電動いすで後ろのお友達とおしゃべり。
Bは(身体の左側にハンデあり)VIP待遇でたみこさんにだっこで座っています。
久しぶりの遠出で、みんな楽しそうなことといったらありません。ついつい笑ってしまうみんなです。

BCちゃん!お弁当いっしょに食べよう!
Cうん、となりに座ろうネ
B着いたらさ、斗いごっこやろうよ!
Cうん、やろう!

すると、となりに座っていた女の子Dが割って入りました。

Dアレ!? Bちょっと待って!! 私とかけっこする約束してなかった?
Bそうだ! ごめん、かけっこしようって言ったんだ。よし。かけっこしよう!

どうだろう。この会話。

「斗いごっこ」「かけっこ」
この子達のつながりのなかで、身体のハンディなんて、どれほどのことなのだろうか。

私はただただ聞いていて嬉しくて、アハアハ笑っていました。

車中歓談。
超幸福!
(なぜ漢字?)

 


2010年1月のたみこさんの部屋

「 夢と給食はランドセルとポッケにつめこんで 」

幼稚園では先日、たくわん作りをしました。
この間はぬか漬けも。
じゅんばんにぬかに手をつっこんだ子どもたち。

「くさっ!」

という声が聞こえるのかなと覚悟したとき、きこえてきたのは、

「あ〜ぁ、いいにおい・・・」

ネッ!! いいにおいでしょ?

この間まで育てていたうさぎたち(寿命で亡くなってしまいました)の小屋を掃除するときや亀の水をとりかえるとき。ときどきは、友だちのおもらしに出会うときもあるし、気持ち悪くて吐く子もいる。
今、「無臭の時代」と言われるけれど、生きて、暮らして、過ごしていると、いろんなにおいに遭遇します。

「生きてるんだからネ!」

「人間なんだからネ」

ピーマンはくさいから嫌いとか、食べ物の好き嫌いも気になるところ。
子どもたちよ、好き嫌いをしないで何でも食べようね。
健やかな身体と心で、大きくなってほしいよ。
これは、大人たちみんなの願いです。

ときどき、幼稚園、保育園、学校の給食で、きまりとして「好き嫌いをしないで、残さず食べる!」というのがあると聞きます。
他の子がみんな食べ終わって1人になっても、食べ終わるまでは座って食べ続けなければならない。
時には職員室に連れていかれて、食べさせられることもあるとか。

私が保育園で仕事していたとき、新しく担任したクラスで、いつも明るいのに、給食の時間になると、妙にオドオドしはじめる子がいました。
それとなく様子を見ていると、食べられない物をこっそりとポケットにつめこんでいるのです。
「嫌いなの? 食べられない?」
と聞いてみると、怒られるのを覚悟して、
「ウン」
うなずきます。

どうしても食べられない物をポケットにかくして、そのまま家に帰っていたその子の気持ちを思うと、気の毒でなりませんでした。
その子とじっくり話し、
「つらかったね」と抱きしめました。

次の日から彼女は、
「これ、嫌いだから、ひとくちだけ食べることにする」
と自分で決めていました。そして給食の時間もオドオドすることなく、ずっと笑顔でした。

(ママもきっと、食べ物でぐちゃぐちゃになった服を洗濯しなくてすんで、ホッ・・・ですね)

そういえば、20年も前、私の娘が小学校で行った小さな親切、大きなお世話のお話。

幼稚園からずっといっしょだった男の子が、給食でどうしても食べられない物があると(担任の先生は、それはそれはコワくて、残そうものなら鬼のように怒る・・・と娘談)
怒られるのがこわくてこわくて、青ざめる。

すると娘は、その子の分をコッソリと食べてあげる。
自分でも食べられないもについては、ティッシュにくるんで、その子のランドセルにつめてあげる。

娘に言わせると、その子は涙を流さんばかりに感謝していた・・・・と。(ホントか?)

寒い日にはあったかいおみそ汁をつくり、行事の前後にはパーティーをし、お母さんたちもいっしょに手づくり給食を楽しみ、なにかというとうれしそうに食べることへとひた走る。

この園のみんなは、食べることが大好き!!

食べることと、命をしっかりと見つめています。

ホラ、我らがあの藤田さんも、ああ見えて、肉は嫌い、牛乳はダメ、あれはキライ、これはキライと、好き嫌いだらけ。
あれでよくもアメリカさ行って、やせもせずに帰ってくるもんだ!!
とみんなにあきれられています。
丈夫だし、元気だし、身長も体重も(?)好き嫌いのない私よりもずっと勝ってる!!

でも娘が残飯をランドセルにつめこんであげた男の子は近所にいるけれど、まだ小柄のまま。
ま、とりあえず食べることはたのしくなくっちゃネ!

 

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