〜 くにこちゃん 〜
昔、中学の同級生のなかに「くにこちゃん」がいました。
服装や髪型がいっそう暗い印象を与えるその子は、みんながおおさわぎしている時もじっと席についたまま目を開けようともしません。
私はその子が笑った顔を見たことがありません。
私は遊んだり、暴れたりの日々のなか、遠くにいるその子に心を寄せることもなく。
ある時、校外学習の班分け「好きな人どーし」と、キャッキャと班決めをしていると、先生が「くにこちゃんは、どこに入る?」とみんなに声をかけました。
男子と女子に別れていたので、男子は
「オイラは知んねぇ〜」
女子達も一瞬、
「ウン?」
とお互いに顔を見合わせるだけ・・・。
くにこちゃんは重たげな黒い髪で顔をかくし、
うつむいていました。
楽しい遠足なのに、くにこちゃんかぁ〜
みんなのなかで、ビミョーな雰囲気が・・・。
そして多少「しゃぁないなァ」という気分で私と同じ班になりました。
(「くにこちゃん! 同じ班になろうよ!」と最初から言って上げられなかった私。重い髪の下のくにこちゃんの赤い顔を思い出します。)
クラスメイトの誰がどんな思いですごしているのかと思いを寄せる暇なく、笑って、さわいで、遊んでいた私です。できることなら、暗いもの、さびしいもの、つらいこと、苦しいこと、そこらの嫌なことすべてから離れて、私は光のなかにいたかった。
気が向いて、たまに、くにこちゃんに話しかけたり、かばったりするのも、
いっそう私のまわりの明るさを感じさせるだけ。。。
そして、
しばらくたった夜、
くにこちゃんは、家で農薬を飲んで死にました。
私たちクラスメイトは、どこか、とんでもなくびっくりしたままお通夜に行きました。
写真で見るくにこちゃんは、やっぱり暗い目をして私たちを見ていました。
・・・農薬?
死ぬ?
・・・どう考えて、どう感じているのか、自分でも分からない私に、大きな泣き声が聞こえてきました。
庭に停めてあった小型トラックの前に、おでこをゴンゴンぶつけながら、誰かが泣いていました。
ワァ〜ワァ〜という泣き声の近くで、作業服姿のお父さんが、困ったように立ち尽くしていて。
(あの時、泣いていたのは、私だったの?)
ぼんやりと時がたって、担任から手紙が届きました。
くにこちゃんは義理の母親に育てられたこと、
彼女はその人からひどい虐待をうけていたこと、
そして、
くにこちゃんは自分に公平に接してくれる担任の家に逃げていったそうです。
その夜も、くにこちゃんは先生の所に逃げました。
(助けて! と言いに。)
先生は、その夜もくにこちゃんの話をきき、慰め、励まして、明日また学校で会おうね、とお家まで送って行ったそうです。
夜道を歩く先生と、くにこちゃんの姿が見えます。
くにこちゃんはきっとその道が永遠に続けばいいと願ったことでしょう。
決して家につかない道を歩いていると、思いたかったことでしょう。
家についてしまったくにこちゃんは、
そのまま物置にあった農薬を飲みました。
先生はきっと誰かに言いたかったのでしょう。
どうしてあの時、くにこちゃんを家に送っていってしまったんだろう、と・・・。
生徒である私に、そんな激しい後悔を書かなければならなかった気持ちも思います。
そして、何より、くにこちゃんの孤独と絶望を思います。
(先生が、誰かが、私が、どうして助けてあげなかったの!?)
その後、
18歳になった私は、大切な人を自死でなくしました。
告別式に行くのにつきあってくれた友人に向かい、
私の厳格な母が、
「この人は、なんで・・・」と言いよどむ声のなかに、くにこちゃんもいたことを、今の私なら、わかります。
そして母も亡くなりました。
震災で亡くなった人と、
そ
のまわりにいる幾万の人の慟哭が聞こえます。
それでも
「生きよう」
と、聞こえます。 |