たみこさんの部屋

2013年1月

〜 人間だもの −おやじの会・会長− 〜

私が保育園で仕事していたときのこと。
幼稚園と違って保育園は両親とも働いているので、父親の協力は不可欠です。
送迎からはじまって、行事への参加もほぼ平等に行われなければなりません。
ねんねこで、おんぶして送り迎えするパパは、保育者に人気があったりします。

なかでも、いつもニコニコと(自分の子だけでなく)誰かれとなく声をかけて遊んでくれたりするお父さんがいました。
ご夫婦ともに小学校の先生で、忙しいのに保育園にもとても協力的で、まさに理想のカップル、理想のパパ!

うらやまし〜!

とみんなアコガレました。

私も子どもが同年齢ということもあり、家族ぐるみで仲良くさせてもらっていました。

そのパパが、

「お母さんたちばかり集まっては、なんやかや先生たちとも楽しそうにやっている!ここはひとつ、おやじたちも会をつくって、まずは・・・飲もうじゃないか!」

と言い出してくれました。

忙しいママが少しでも楽になるように、オイラたちも協力するぜ!
との意気込みが感じられて、とても嬉しく力強かったのです。
そして、「おやじの会」はいろんな行事へ参加、協力してくれるようになりました。

その原動力は、行事終了ごとに行われる居酒屋での「大反省会」。
いつも夜中までワイワイと楽しかった・・・との情報でした。
おやじ達が嫁のグチや仕事のグチを言いあって、最後には肩を組んで、大声で歌ってしめくくる、それはそれは愉快な宴会だったようです。

会長はいつもその会の中心にいて笑っていました。

ある日の夕方、お互いに仕事帰りに会長の妻(私にとっては娘と仲良しの友達のママ)と出会いました。
いつもとちょっと違う様子で呼び止められて、立ち話をし始めました・・・。

「夫(会長)がどうも同じ職場(小学校)の
 同僚(の先生)とつき合っているようだ」

えっ!?

恋愛?

え?
不倫?浮気?

え????

聞いてみると、家に帰ってきてもなんだかソワソワと落ち着かない。
電話がくるとそそくさと出かける。
あまりにおかしいので問いつめると、白状した。
あちら(女の人)も家庭があるようで、仕事はちゃんとしているし、離婚して一緒になるというのではないらしい・・・。
が、妻としてはこの状態はとても耐えがたい。と。

青ざめて元気の無いその人の話をずっと聞いていました。

「電話が来て、出て行こうとしたら、行かないで、と言うの?」

「ウン。言うの。
 でも、ちょっと苦しそうな顔をして、やっぱり行ってしまうの。」

「その女の人が、もうやめた!と言ってくれれば、終わるのかな?」

「彼女がどんなつもりでパパとつき合ってるのか、よくわからないの・・・」

どんなに話しても、それはどうしようもなくぐるぐると回り続け、途方に暮れるだけ。

2人でじっと立ちつくすしかない夕暮れのあの時。

あの風のにおいまで覚えている気がする。

それから、おやじの会はみるみる力を失いました。
大反省会の大宴会で真っ赤な顔をして大笑いしている会長はもう見られなくなり、ママに聞くと、夜の電話でそそくさと出かけていくだけでなく、休日もほとんどいない・・・と。
できることなら仲良しの私にパパと話をしてもらえないかしら、とも言われました。
パパの本心を私になら話してくれるかもしれないから、と。

そのママは、やさしく子ぼんのうだったパパを嫌いになるのはむずかしい、と。

ゆれました。

いっそ、
会長のパパとその同僚の女の人を2人並べて打ち首にでもしてやろうか!?

いやいやとりあえずはグーでなぐってやろう!
そして「2人とも家庭に帰れ! 夫や妻のもとに帰れ!
 子どものところに帰りやがれ!」
と叫んでやるしかない!!

ヨシッ!やったろうじゃないか!!

が、しかし、けれども、で、できなかった。

「好きになっちゃったんだろうな」

というその一点がやはり、私にゲンコツをにぎらせなかった。

人間・・・人間だもの・・って相田みつをかっ!?

そして年月がたって、
その2人の離婚が成立したことを知った。

ある時、その娘さんとばったり会った。
「どうしてるの?」
話しかけようとしたけど、その子はかつての親友のママである私に美しく笑いかけて・・・無言で通り過ぎていった。

あ〜あ

やっぱり打ち首にしとけばよかったのかなぁ〜?

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2013年2月

〜 雪が降りました 〜

年に1度くらいは、雪で遊ばせたいね。
とはいつも言い合っていることです。

雪が降ると、予定していたことがあってもとりあえずは、雪で遊びます。
ほっぺをまっかにして、手をかじかませて、ハアハアと笑いながら夢中になってあそぶ子ども達。

今回、じゅん君は子どもたち相手に、
雪合戦のマトになってたいへんな目にあいました。
冬の神さまからのおくりものです。

やっすぅは、自宅から駅まで1時間歩いて(いつもは車通勤)その後電車、そしてまた歩いて、と、ようやく出勤して来ました。
自転車の人は、乗れないので自転車を引っ張って、盛大に転んだりして出勤。
なにせ歩くのが大変だった。
などなど、職員も相当苦労したみたいです。

藤田さんもバスの中からメールしてきました。
バス停から園まで歩くのが大丈夫かとすごく心配した私は、テレビで言っていたように「前のめりになるようにして小はばで歩いてくださいね」と一生懸命歩き方をメールしました。
すると、

「雪国育ちの私です。でもえらそうなコトは言わずに、
  前のめりで歩いていきます」との返信。

ギヤァ〜〜

そうだった。

藤田さんは、言わずと知れた、福島雪国育ちだった!!

 

このあと、帰り道にも「前のめりで帰るから、大丈夫で〜す」
と何度も言われるハメに・・・。
変な人に変なことを教えてしまった私。

 

その雪の日の出来事です。

男の子ふたりが事務室に飛び込んできて
A「たみこさん! Bがウソついたよ
と涙をためた目で訴えている。

た「えっ!? そうなの? ウソ?
A「うん。あけたのに、あけてないって言ったの!
た「B、あけたのに、あけてないっていったの?
B「うん」(すなおだ・・・)
た「なにかわけがあったの?
B「・・・・・
た「わけはないけど、言っちゃった?
B「うん」(ひどく、すなおだ)
た「そうか・・・。あけてないって言っちゃったんだ
B「うん

なにをどうあけてしまったと言ったのか、よくはわからなかったけど、なぜかとてもくやしそうに涙ながらに訴えるA。
でも詳しいことは一切「??」
その後BはAにむかって、静かに「ごめんね。あけてないって言って
と謝っている。
Aはそれをきいて「うん」と涙をふいている。
そしてBに向き合うときっぱり「あそぼう!」と誘っている。

よかった。
なかみのよくみえないトラブルだったけど、
お互いそんなに厳密な解決はのぞんでなさそうだ・・・。
いいのかな、これで、と内心ほっとした私。

事務室の戸をあけて出ようとするA。
うれしそうに笑って後を追うBが、
ア〜、よかった。A、ゆるしてくれた・・・
と、心底ほっとしたようにつぶやくのが聞こえた。
(よかったね。ゆるしてもらえて・・・)

いいなあ。このふたり。
雪合戦みたいに、あとくされなしだぁ〜。

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それにしても、、、、

なにを

あけてない!

って言ったんだろう?

・・・・知りたい。

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2013年3月

〜 水中歩行 〜

昔、私は文学少女でした。

今でも何が楽しいったって、部屋のすみっこで本を読んでじ〜っとしているのが好き。
高校の部活は「社研部」!
大学の体育は「テニス」を選択し、これは全時間見学のみでクリアーしたもんね。
(自慢か!?)

昔からの友人は私と会うたびに「体を動かせ! 体の回るところは全部回せ! 首も手首もヒザも足首も回せ!」と心配して言ってくれるが、私の回すところといえば、せいぜい目だ。
目はまわる、まわる。(グルグル)

そんな私が夫にくっついて、区営のプールに通っていた時がある。
泳げないから、水の中を歩くだけ。
それでもなんだか気持ちよく、水の抵抗を受けながらワシワシ歩くと、ちょっとスッキリした。
これなら続けられるかもしれない、素敵な水着もあるし、しかも似合うし♪

そんなある日のこと。

水の中を歩いていると「センセ!」と呼ばれちまった。
見ると、園児とそのママがニコニコと笑ってる!

(きゃあ!まずい!水着だし 泳げないし)

でもそのママはとびっきりの笑顔。
入園する時は精神的に波があり、実家に子どもと戻って、
夫とはしばらく別居する、そんな話をしていた人。
その話をする電話も、まま本人は出られず、おばあちゃんが話して入園させたいと言ったんだっけ。

こどもを幼稚園に入れてからも、懇談会にも来ないし、担任はただただ心を寄せていた。
面と向かって話すこともなく、元気な子どもの様子を毎日のようにおたより帳に書き、ママが少しでも姿を見せたら職員みんなが喜んだ。

少しずつ、笑って幼稚園に来るようになって・・・ある時、門のところで、
センセ〜! センセ〜!
と大声で呼んでいるママ。

袋いっぱいのじゃがいもをぶら下げて、
たくさんいただいたから、もらってぇ〜」と。
うれしかったなあ。
じゃがいもをもらったからじゃなく、
そうやって来てくれるようになったママが。(当然か)

そんなこんなのプールでの遭遇だった。
水の中の会話もはずみ、ママは私の後ろをおしゃべりしながらついてくる。そのママにずっとまとわりついて笑っている子もうれしくて、あ〜良かった!

そんな月日が続けば良かったのに、
ママの姿が園で見られなくなり、
心配していると、調子を崩して入院した。
子どもはおばあちゃんとパパと過ごしているという。
そのうち、保育時間の関係か、あっという間に子どもは保育園へと転園してしまった。

ママや子どものことが心配で、
パパやおばあちゃんに電話して話しても、
なんとも話しが、気持ちが、伝わらなかった。

じれったい・・・。

そんな時間が続いた。

そんな時に一枚のはがきが届いた。
先生、久しぶり! 
  お元気ですか? 
 わたしは今、入院中です。
  ドクターが、体重が38キロになったら、
  子どもと電話で話してもいいよと言っています。
 もう少しです!

摂食障害とうつ病が悪化して、精神科に入院したママからのはがきでした。

そうか! 50キロの私は、ママを応援しているよ。
 子ども達と話せる日は近い! 退院したら、顔、見せてね。

嬉しく返事を出した。

その後、ママが退院したらしいとの噂が聞こえ、
会いたいな、プールに行ってるかしら、
と気になりつつ、月日はたっていった。

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ところが、

ママは治っていなかった。

ママは、自宅で、自死した。

仲良くしてくれていたママの友人が連絡をくれて、
お線香をあげにいこう!
 おばあちゃんや夫と、すこし話をしよう

とママの死を受け入れきれないその人は私を誘った。

でも・・・。

へなちょこの私は泣くばかりで、行けなかった。

あのときプールで、私のあとを子どもにまとわりつかれながら、
しゃべって、笑って、ずっとついてきたママ。

じゃがいも持って、「センセ〜!」と叫んでいたママ。

38キロになったら・・・子どもに電話すると言っていたママ。

水着はタンスの奥深くしまい込んだ。
水中歩行はやめた。

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2013年4月

〜 苺のハンコ 〜

保育園が実家だった私は、父母が忙しく働いていたので(その頃は学童保育なんてなかったし)保育園の部屋を貸す習い事に、強制的かつ自動的に入れられていました。
なかなか集まらないとその先生を気の毒に思ってのことでもあり、お習字、お絵描き、ピアノ、塾と、姉と弟3人が増えるというわけです。
(どれひとつもモノにならなかったのは・・・・言うまでもありません)

母となった私は、息子が小学生の頃、幼稚園の教室を使いたいというバイオリンの先生が「生徒が集まらない・・・・」とつぶやくのを聞いて息子に、
ねえ、バイオリンが弾ける野球選手ってステキだよ・・・
とかなんとか言って、習わせてみることにしました。

もしかしたら・・・
万が一、才能を発揮するかもしれないじゃないですか?
私だって、
淡い期待を子どもに持つことが許されたって
いいんじゃないでしょうか?
(それはこの先ずっと長きにわたり、ことごとく打ち砕かれるのですが・・・)

グチは別にして、
息子は習い始めました・・・。
が、
あの人は遊びに忙しく、忘れもしない「金曜日の4時」につかまえるのは、本当に大変でした。
そのときも、ようやくとっつかまえて、
バイオリンを持たせて、教室に放り込んだのです。

その夜、息子は言いました。
ママ、バイオリンの先生に、バッチイ〜って言われた・・・。
 きったねぇって意味だよね? おれの手さわるのイヤがってた・・・・

ば、
ば、
バッチイ〜ってか!?

たしかに・・・
汗と泥で真っ黒な手の子を教えるのって嫌だろうなぁ・・・
バイオリンの先生は、一人息子を育てるシングルマザーで、
美しい人です。
いつもカラフルなワンピースで巻き髪、
何よりステキなのは、私に時々くださるプレゼント。
ハート形のキラキラするネックレス、
ガラスのリンゴ、
夫がまちがえて毎日水をやりつづけた本物そっくりの観葉植物・・・。
ふわふわしたピンクのタオルにハンカチ、
きれいなもの、かわいいものが大好きなおばさん2人(先生と私)

息子は「キラキラ星」を弾けた段階で、
あっという間にバイオリンをやめたいと泣いて訴えた。
しかたない。泣くほど嫌いなんだから。
(バッチイし・・・。)
でも先生は、わたしにかわいいプレゼントをくれ続け、
顔を合わせると、ニコニコしゃべり合う仲良しでした。

ある金曜日「バイオリン教室を休みます」と、男の人から電話がありました。
その人は先生の息子さんで、
母が昨日倒れたので、教室はお休みとします。生徒さんへの連絡をたのみます。」と・・・。

先生は趣味で「謡(うたい)」をやっていらしたようで、
その練習中に突然倒れたということでした。
救急搬送されICUに行くと、意識はありません。
よびかけても、よびかけても、返事はありませんでした。
一命はとりとめたものの、その後重い後遺症がのこりました。
お見舞いに行ったら、無論私の事は認識せず、私は涙を流しながら、なぜかひどく曲がってしまった身体をただなでさするしかありませんでした。

看護士さんはおっしゃいました。
この状態で2年、3年と生きる方もいらっしゃいます
(生きる方も、って・・・・)

2年、3年はとっくにすぎました。
息子さんからの連絡も途絶えました。

そうだ。
先生からいただいたプレゼント、
今でも持ち歩いている大好きなもの、イチゴの形のハンコ。
緑のヘタをとると、ちゃんとイチゴのにおいがする。
(今でもする)
その香りをかぐと、バイオリンの先生の、美しい姿を思い、いつも泣いてしまいます。

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先生、あのときの息子は、ジジ・ババのおしめを、ニコニコとりかえていますよ。
バッチイとも言わずに。

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2013年5月

〜 こんにゃくとところてん 〜

1年に1度、職員の健康診断のために、車がやって来ます(レントゲン車)。
子どもの帰ったへやをカーテンで仕切って、急ごしらえの診察室がつくられます。
身長、体重、目、耳、血圧、心電図、血液検査、そしてドクターの診察と、それぞれ係の方や看護士さん、お医者さん、レントゲン技師と、なかなか大層なしかけです。(加えるに、40歳以上の人は、メタボ健診つき)

その日が近づくと、
やれ「前の日から食事をしてはいけないんだって!
前夜、朝、昼(健診は4時すぎから)と食べちゃいけないんだよね?
などなどおおさわぎ。

おなかがすくと悲しくなる私としては即座に健診会社に電話する。
・・・あのね、夜、朝、昼と食べないでいることなんて、できません。
  第一、子どもとあそぶ仕事の私たちが、どーして食べないでいられますか!?

あちらは私のけんまくにびっくり。
いえ、いえ、厳密に数値を出す場合のことで、いつ食事されたか申告してくだされば、どうぞ食べて仕事してください・・・

と、なだめてくれる。

そ〜れみろ! ちゃんと食べて、ちゃんと仕事するんだぁ!
と私は叫ぶ。

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きゃぁ〜! 今日だって言ったじゃないですかぁ〜
 朝も食べてこなかったし、お昼だって、お昼だって・・・

と職員室の机につっぷして叫ぶジュンちゃんのすがたが・・・。

どうやら健康診断の日をまちがえて、一日前に食事しないで来たらしい。
これから子どものお弁当というときに気づいたようだ・・・。

わたしは、だから・・・・お昼も、こんにゃくとトコロテンで済まそうと思って・・・あ〜あ。明日だなんて信じられな〜い! やだ〜ぁ!
と、いつまでも叫び続ける。

明日も食べないなんて! 今日は私お弁当もこんにゃくと
トコロテンだけ持って来た! おなかすいたぁ〜

いつまでも嘆きは続く。

通りがかった人が、静かに
なんか買ってきたら? おなかすくと仕事にならないよ
とさとす。

あぁ〜あ! 明日だなんて・・・。おなかすいたぁ〜
嘆きは続く。

(ちなみに、その後すぐにコンビニにお昼を買いに走ったジュンちゃん。)

当日、
ジュンちゃん、ごはん食べた?
夜は食べました。朝は食べません。
  昼はトコロテンとこんにゃく!
」(きっぱり)

そのとき気がついた。

これって、体重のことを気にしてのコト、だよね?

そういえば去年の健診、

「ち」がつく人が、体重測定断固拒否!

という事件が・・・

素直に体重計に乗った私は後から聞いて、
えっ? 乗らないでいいんだ!?
と感心した(どうやら、散々抵抗しての自己申告だったらしい)
血液検査のための食事制限が、ただただ体重だったのね。

去年自己申告の人に私は聞いた。
今年はのるの?
黙って静かに首を横に振る「ち」のつく人。

そんなこんなではじまった健康診断。
私が血圧を測ろうとすると、後ろのカーテンが、ソロソロと開いて、白衣のお年寄りのドクターがふるえる声で、
い、、、椅子が、椅子が小さい。
えっ!?
とカーテンのなかを見ると、
立ち尽くすドクターのそばに、子供用の小さなイスがひとつ。

だれかぁ〜! 大人用のイスを持って来てあげてぇ〜!

と叫びつつ、血圧を測られた。
あれ・・・? すごく高い!」(びっくりする看護士さん)

あたりまえだ!

と、じきにまた、後ろのカーテンがソロソロ開いて、
し、、、神経痛になっちゃう」と震えるドクターの声。
ふりむくと、スリッパも履かないで靴下のまま・・・。
私はまた叫ぶ。

だれかぁ〜先生にスリッパお出しして〜!はやくぅ〜!

看護士さん「高い!血圧、高い!
(だからあたりまえだって!)

終わって、職員室に戻ったら、ジュンちゃんががっくりと肩を落とし静かにつぶやく。
皆さん、実験の結果、2日間、朝昼制限しても、体重は減らないということが、わかりました。

今年は、体重自己申告者が1人増えた
(私じゃない人)

メタボ健診の腹囲測定に「悪意を感じる」
とくやしさをにじませる人がいた。
(私じゃない人)

なんなんだろう。
ここ西小岩幼稚園幼稚園の健康診断の、このさわぎって・・・。

 

言えることはひとつ。

健康診断は、健康に、悪い!

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2013年6月

〜 「ち」のつく人の演説 〜

先日、体重計に乗らなかった「ち」のつく人から、

もうひとり乗らなかった人がいるのに、
  なぜその人の名前は公表されないのか!

と、私に強い抗議がありました。
確かに、もうひとりの人は体重計に乗ったとたんに

キャァア〜!

と悲鳴をあげてとびおり、震えていました。

「ち」のつく人の抗議は「不公平だ!」という一点で、私は深く反省し(私のモットーは公平!)、ここにもうひとりの名前も公表することとします。

それは、

やっすー

こと

やすよさんです!

ちなみに、しっかり名前を出されたじゅんちゃんは、
すっかりあきらめ(開き直り)、ただ笑っているという余裕の人でした。

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「ち」のつく人がヒラヒラと紙をふりながら事務室に入ってくると、
コピーをとりま〜す
なんのコピーすか?」と私が聞くと、
毎週配られる、敬愛する藤田さんの「おかめはちもくNo. 6」とのこと。

足りなかった? と数の数えられない私が心配して聞くと、
たみこさん! これ読んだら私、涙が出ました。お母さんや私たちだけでなく、こういうことは是非、若い人に読んでもらいたいと思って、今いっぱい来ている、実習生さんたちにも配りたいので、コピーします!
とのこと。

「おかめはちもく」の意味は、「その中にいるより、ちょっと離れた場所から見ると全体が見えたり、よく見ることができる」という意味で、藤田さんが毎週お母さんに、幼稚園でのことやら公演に行った地方のこと、子育てのこと等を書いてくれる通信です。

その「No.6」は、鹿児島のこと、「はやぶさ」に乗り、特攻隊として艦船にぶつかって沈める、必ず死ぬ作戦のこと。亡くなった方々の写真は、まだ10代の少年。
本人も家族もどんな想いだったでしょう、と、おかめはちもくには書かれていました。

それを読んで、「ち」のつく人は、これは是非とも若い戦争を知らない人たちにも知ってもらいたい!と強く思ってのことでした。

本当にそうだと感じた私は、コピーをとらせていただき、その夕方、実習生さんたちが来たところで、「ち」のつく人に、

これを配って、少し演説をしてください

とお願いしました。

ヒュ〜ヒュ〜! 『ち』のつく人が演説するって〜

とすぐふざけるいつもの同僚達も、話が始まると、じっと聞き入りました。

私は、ひめゆりの記念館でも亡くなった若い人たちの写真を見て涙が止まらなかった。
 戦争なんて昔のこと。私たちは知らない!
 と言ってるそれ自体、もう許されない罪です。
 しっかりと知ることから始め、この先、私たちの育てている子が戦争にかり出されないためにため、勉強しましょう

と、きちんと演説した「ち」のつく人。

そして、その後の職員会議でも、わたしたちはいつも、子どもに向かい一生懸命である、必死である。故にすごくすごくばたばたと忙しい。話すことは今日の子どものこと、明日の子どものこと、そして困難を抱えたお母さん達のこと。
一日キリキリ舞いをしている私たちは、頑張っているという気持ちがある。

が、しかし!

と私は叫ぶ。

この忙しさ、大変さのなかで見失ってしまうものはないか!
私たちの感性は私達自身で、守らねばならない。
かくいう私も、休日ともなると疲れていることを口実に、じっと部屋に引きこもる。
いい映画を見て、いい音楽を聞いて、風の音や花のそよぎに想いを寄せる、そんな時間がどんどん少なくなっているかもなあ〜。

自分に言って聞かせるように、みんなに話をした。

私もしっかり学ばなきゃ

と、職員のひとりがつぶやく・・・。
うなずくみんな。

次の日の実習生のノートには、その「おかめはちもくNo.6」を読んで、

知らねばならないことがあります

私にも小さい弟がいます。その弟が戦争に行くことを考えると恐ろしい

等、感想が寄せられました。

「ち」のつく人は、体重計にのらないだけの人ではなかった。
たまには大切なことをみんなに伝えようとする人だった。
「おかめはちもくNo.6」読みたい人は言ってください。

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2013年8月

〜 お泊まり会、お泊まり会 〜

まつ組のお泊まり会が終わりました。

猛暑のなか、子ども達の様子を見ながら、遠くの公園に行く!
などの計画は変更せざるを得ず、「ゆったりすごす、楽しくすごす」ことをめざし、いつもの幼稚園をまつ組と職員達が「好き勝手に楽しもう」と決めました。

職員室では「お泊まり会」の打ち合わせ。

これがすごかった!

何度話し合っても
あっ、忘れてる!
そうだ、これを準備しとくんだった!
などなど・・・
完璧というにはほど遠い「ヌケ作」ばかりの職員集団。
でも、障害のある子も含めて、ひとりひとりについて話し始めると、
だんだん興奮してきて、とうとう
入園したばかりはね・・・」と
会議は果てしなく続くのだ・・・。(はぁぁ〜。。)

そして、担任は
みなさん! 手作りのおみやげをわたすときのことですが・・・
と声を張ります。

担任二人がない頭を寄せて、あぁでもない、こうでもないと決めた、子ども達へのプレゼント。

それを見たら、苦しいときも、悲しいときも、
そうだ! まつ組の時は、みんなでさかあがりできるようにって、励まし合ったんだ。
できるようになった子が、まだ練習中の子をずっと応援した。そんなこんなの思いを込めた、一生持っていたいと思えるものを渡したい!
手作りの巾着袋に入った、心を込めた、手作りのプレゼント!

渡すときは、キャンプファイヤーの火が燃え上がってるときに決めている。
子どもがキャンプファイヤーの火を見つめる時って、ほんとうにいい顔をしている。
あのときに、じっくり話をしながら、ひとりひとりにプレゼントを渡したい。
その思いを、もう誰も止めることはできなかった。
ツッコミどころは満載だったけれど、目に涙を浮かべんばかりに熱く熱く語るやっすーとあゆみ。

幾晩もシミュレーションしては、眠れぬ夜を過ごしているのだもの。
好きにやらせてあげよう。
きっと、心優しいまつ組は、担任の思いを理解して、受け入れてくれるだろう。

 

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そしてキャンプファイヤーの時はきた。

担任二人の思いを込めた語りは始まった。

確かに・・・。
火を見つめる子どもたちの顔は、息を飲むほどの美しさだ。

しかし、
担任の演説は・・・・・・想像してください。
(ざ・・・残念)

でも、翌日の朝の
「みんな泊まれた! 大表彰式!」
その時に職員みんなのまつ組への思いがどんなに深いかを主任がお母さんたちに話してくれた。

転園してきたお母さんが、
こんなあたたかな仲間たちの一員になれていること、本当にうれしいです」と泣いてくださった。

 

・・・どう考えても、このお泊まり会、
一番楽しんだのは、まつ組担任ふたりだった気がする。

しあわせな まつ組だ。

 

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2013年9月

〜 出もどりはっちゃん 〜

3月に涙、涙で退職したはっちゃんが、

帰って来ました。

9年ここにいて、結構なベテラン。加えるにこの園では大変珍しく、見通しがきくというか、段取りがいいというか。
行事その他では、ぱっぱと準備してくれて、あとのみんなは、はっちゃんの後をオロオロしながらついていく。

・・・ったく、どいつもこいつも!!  
 すこしは段取れ! せめて記録しろぃ!

と、はっちゃんの心のなかの声がいつも聴こえていたようで、
こ・こわいほど・・・・しっかりしている。

そのはっちゃんが、請われて新設の保育園に準備段階から入ることになりました。
外の世界もみたほうがいいよ
良いと思える保育の種はあちこちにまかれるべきだよ
新しい保育園にはじめから関われるなんていいなぁ
などなど、みんなでお別れする寂しさをこえて、送り出したのでした。

しかし。

しかぁ〜し!

やめたはずのはっちゃんの姿が、たびたび西小岩幼稚園に現れるようになりました。
子どもたちは「はっちゃんだぁ〜」と大喜び。
・・・お母さん達は
アレ? はっちゃんやめたんじゃなかったの?
聞くと、なかなかむずかしい・・・らしい。
みんなで、子どもにとって良いと思えることを出し合い、検討すること。

そこから始められる保育園づくりですが・・・・が・・・・。

それが大変。
会議にあげるための書類の作成(西小岩ではあまりやってなかったなあ・・・)から苦労したようだ。
たとえば、はっちゃんも西小岩幼稚園のみんなも大好きな“リズム”。
心も身体も解放されるし、
「音楽、動き、表現」子どもたちがどんどんのびやかに美しく輝く。

この“リズム”は是非新しい保育園でもとりいれたい。
とはっちゃんははりきっていた。
が、
考えていた以上に難しく、書類にして(企画書?)提出して上の人たちに見てもらうことが第一歩。
なかなか伝わりにくいんだ。これが。
では、開園までに間があrのだから、研修として、実際に来て動いたらどうか・・・。

すったもんだ、いろいろあるうちに、新園長になるはずのひとが、疲れ果ててやめてしまった(!?)
それでも、開園めざして歩き続けようとするはっちゃん。
・・・会議と書類の間で大ゆれにゆれてリズム研修はようやく実現したのだが・・・。

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そんななかで、かわいそうだったのは、疲れているはずの彼女が、休みの日は西小岩に行って子ども達にちょっといやされる、それを自分へのごほうびにして頑張っていたこと。
明るく楽しい、まっさらな新保育園で、と希望に胸をふくらませていたのに・・。

しばらくして、まつ組が、ギャハハと笑って、心から楽しんでいるお泊まり会の夜にも、はっちゃんはやってきた。
また少しやせて、目を泣きはらして。

うたう歌ひとつもチェックされ、子ども達のために・・・という言葉がむなしく空回りして、思いあまって、
前に私がいた幼稚園では、職員全体がひとつになって、子どものためにとどこまでも考えあい、実践していましたよ!
と上司(?)に西小岩幼稚園での保育をエピソードを交えて語ってみたそうだ。
その上司(?)が言うことには、

 

そんな幼稚園なんて、あるわけないでしょうが。
あるとしたらそりゃ、奇跡だぁ

 

どんなにしんどくたって、苦しくたって、子どもの為となれば、奇跡だってなんだって起こすんだい!

私はとうとう言った。
はっちゃん、やめたほうがいいかも。はっちゃんがつぶれるの、みてられない

結局、保育園開園の前に(そこに子どもを置いて去るのはあまりにつらいから)はっちゃんは、やめた。

園だよりで、「でもどりました」とお知らせして、9月から一応、全日パートさんのひとりとして、元気に仕事をしている。

はっちゃんがめざしたなにより子どものために・・・という努力は、決して無駄になってはいないと信じるよ。

 

「おかえり! はっちゃん!」

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2013年10月

〜 人間鉄棒 〜

運動会が終わりました。
「楽しかったね〜」
とみんなでうなずき合うこの嬉しさ。

年長は、前の年長の姿を見ているので、
オイラ、まつになったら、とび箱を飛ぶ! 逆上がりする!」とめざし、憧れます。
去年の運動会が終わったとたんにはじまった「逆上がり」の練習は、固定されている低、中、高の鉄棒だけで、何とかなるものではありませんでした。
保育者ふたりが、ひとりひとりに合わせた高さにして、ポール(洗濯サオ?)を使っての練習です。

これを「人間鉄棒」といいます。

にぎった鉄棒から、血とか熱とか思いとかが流れて行くのかもしれません。
みんな、毎日毎日あきることなく、人間鉄棒につかまり、はね、とび、上がりました。
「みんなができるようになる」
その思いで、応援にも力が入ります。

事務室にいても
たみこさ〜ん! ○○ができるようになったよぉ〜」と
バタバタと走り込んでくる子達の嬉しそうな顔、顔。

運動会が近づいてくると、できるようになりたい思いがさらにあつくなり、さんざんやってみたけれどできない・・・・
他の子はもう帰りじたくのために部屋にもどったあとでも、あきらめきれない。
担任たちとまわりの私たち、そしてなにより本人のくやしさ!

片づけのために入った部屋で、もう少し練習しよう!
その子は自分の思いを上手に表現する事が、あまり得意ではありません。
でも、その目には「どうしてもできるようになる」という思いが満ちています。
失敗するたびに、ひざにまとわりつくズボンをみずからまくりあげます。

よし! やる気なんだね! もう一回やってみる?

ダメかぁ〜 もう少しなんだよね。 疲れたよね。水分とる?

応援団の私達は、お茶をとりに走り、汗と涙をふくために、
ティッシュもとりに走ります。

帰りの時間は迫っているし・・・どうしよう?
するとその子は、人間鉄棒の手を「しっかり持って!」と言わんばかりにつかみます。

やる気だ。

まだ!

へやを掃除している実習生も、ほうきを持ったまま、かたずをのんで、見ている。
他の子は誰が見てるの?というほどの大人が取り囲み、
もうすこし! もうすこし!

そしてとうとう、
自分の身体の主人公として、自分の逆上がりを、成功させた!

ほうきを持ったまま涙をうかべる実習生。
泣きながら、笑いながら、Tを抱きしめるおとなたち。

やった! 良かった! できた! よくやった!
口々に叫び喜びあうみんな。

私も泣いた。

・・・よかった!

もう、運動会でできてもできなくても、これでいい。

すると・・

何を思ったか、担任が私に向かって

これが! これが! 運動会なんです!

と言った。

・・・

???・・・・はい。
と返事をしようとして

・・・!?!?!?

誰に向かって言い聞かせてるの!?
私を誰だと思ってるのよ!?

あっ、
と我にかえった人間鉄棒こと担任が、

す、スイマセン・・・」とつぶやく。

そういえば、この頃、職員の態度が妙にデカい・・・
運動会の準備の時も、
はい! 今回は忘れ物ないです!準備万端ととのいました!
完璧だね!」と言い合って終わったのに。
のに、のに、、、、
大切なものを忘れた・・・夜中に思い出したひとがひとりいたからなんとかなったものの・・・・困る。

私は心底あきれて
もう! なんだってどいつもこいつもアホばっかりが集まっちゃったんだろうねぇ〜?
すると、『ち』のヒトが冷たく言う。
でも、準備万端! って言ったとき、たみこさんもいましたよね。
 一緒に、忘れてましたよねえ・・・・しかも、こんなアホたちを採用(?)したのって、たみこさんですよねぇ

な、

な、

なまいきだ。すごく・・・・なまいきだ!

アァ・・・
「これが運動会なんです」

 

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2013年11月

〜 「ゆううつ」な時 〜

11月は・・・・紅葉の美しい時。でも、ゆううつな時。
(就学時健診・・・)ピカピカの一年生になるこの時。

ハンディのある子たちにとっては「判定」の時。
ここ西小岩幼稚園で他の子たちと全く同じように過ごしてきた子が、普通級か支援級か支援学校かを決める時。
相談をする。見学に行く。行動観察(?)を受ける。
ホントすみません。
見たこともない大人たちの前で着替えをする。そでのうらがえし。衣服の裏表、靴の着脱、その他その他をやってみせるって、どういう意味があるのでしょう。

そこを見て「判定」を受けるって、何!?

担当がいて、こまやかに相談に乗ってくれる(らしい)相談員の方は、(それぞれで)勿論子どもにとってどこが一番いいかを、いっしょに考えようとしてくれているのでしょう・・・。
そんな相談員の方が多いのでしょう。

が、しかしです。
どこに行くか決めるまでに・・・お母さんたちの顔からどんどん笑顔が消えていく。

アレができないからダメ。これができないからダメ
 数がわからない。知的にダメは、全くダメなんですね

と。

私達は言う。
でもね、この子はみんなといっしょにやってきたよ。いっしょにすごして、頑張りをみせてるよ。やる気と、根気には、みんなが尊敬してるんだよ
でも、むなしい。
かみしめたくちびるからもれる私の言葉は、
せ、せっかくみんなといっしょにすごしてきて、なんの問題もなくいっしょにやってきて、なんで・・・・なんで小学校の入学の時に、わけられるの!?

・・・わからない・・・。

ランドセルを準備して、入学の時を晴れやかに待つこの時に「判定」がでるのは12月。
きちんと決まるのは来年の1月すぎ。

つらい。

話しても、話しても、グルグル回る。目も回る。

なんでみんなと同じじゃダメなんだろう・・・・
つぶやくお母さんの目には、涙が。
どれだけ、涙を流せばいいんだろう。
西小岩幼稚園で、小学校もつくってよ」と言われたりするけれど、もう園舎も私もボロボロだもんね。

この時期の落ち込みは深い。
やっぱりワタシ・・・・・

歳かっ!?

ふれくされ気味の、ゆううつな時。

 

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2013年12月

〜 お国柄 〜

2年前に中国からやってきたAが、年少組として入園してきたときには、日本語がまったく通じなかった。
それにもかかわらず幼稚園に置いて行かれるAは泣きわめき、私達はどうAを慰めていいのかとほうにくれた。
中国語は特にむずかしく、「中国語会話」の本を持ち出したり、中国語が出来る人をさがすなど右往左往する私達。

私はというと得意中の得意、居酒屋人脈を駆使して中国のママの居酒屋に走り「すぐ迎えにきます」「おしっこいきたくないですか?」「遊ぼう」などなど、カタカナで書いてもらって、発音を練習した。
(ちなみにそこの居酒屋さんは手作りギョーザが美味! レモンハイによく合う!)
ただ、教えてもらった中国語はぜんぜん通じなかった。

お祭りのような、たたかいのような毎日がすぎ、子ども達と笑い、遊び、いたずらをするAは・・・、よく笑い、いつも瞳をキラキラさせていた。
家に帰ると中国語、幼稚園では日本語だが、言っている事はわかるようになっても日本語でおしゃべりするのには時間がかかった。

でも、不自由な言葉ながら、友達との関わりが嬉しく、たくさんの小さないさかいがありつつも、何の遠慮もなく暴れ回り、友達と遊び、誰よりも担任を嘆かせ、困らせるほどに成長(?)していった。

クラスにとって、もはやAはなくてはならないガキ大将だ!

もうすぐ2学期も終わり、年長となる誇りに満ちている先月の事。
突如家族から
「Aは中国の小学校に入れます。中国では6〜7歳で英語を学びます。中国語もわからせたいし、ママの両親が中国にいるので、そこに預ける事にしたので、退園します。」

ガーン!!

それはもう決定だった。

担任は涙を流し、私達は中国で小学校に入学する事になるAが心配で、ほとんどパニック状態。
ついにはAを事務室に呼び出し、「本当は行きたくないんじゃないの?パパやママや妹は日本にいて、Aだけ中国でむこうのジジ・ババと暮らすなんてさびしいよ」とAを説得しはじめた。

Aは見たこともない深い瞳で私たちを見つめながらも
さびしくない。中国にいく」と言う。

なんなんだ。

・・・またAが怒られているのかと心配したいたずら仲間が事務所にのぞきに来た。
その子たちもまきこんでしまう私たち大人。

Aは友達がそばに来ると、みるみる目をうるませる。
行きたくない! 行かない!」と暴れて泣きわめいてくれ、
そう望む私たち。
じゃあ、このあなたの仲間に、中国に行くことになりましたって、自分で話をして!」とつめよるが、Aはそれは言えないと拒否する。
仕方なく心配顔のいたずら仲間に「Aはね、みんなといっしょにまつさん(年長)にならないんだって。中国に行ってしまうんだって」と話す。

びっくりする仲間たち。

ひとりの子が泣き出した。

たまらず、取り囲んだ私たち大人も涙をこらえられない。

頭ではわかる。
Aがどんなにつらい立場なのか。
大人(私たち)に言われ、大好きな友達に泣かれ、一番泣きたいのはAにちがいないのに・・・。

Aを責めることになるから、こんなやり方はおかしい・・と私たち大人は頭ではわかっている。

でも。

でも・・・。

2年も一緒にすごし、これからも一緒だと信じていたこのAが居なくなる。しかもこんな急に。
なんともかんとも、納得できない。

ママに向け、実質的に育児に関わったパパ側のおばあちゃんに向け、
話をし、手紙を書き・・・。
ほとんど「おどし」だ。

もう決定だ。
くつがえすことはできない。
泣きはらした目をして担任も認めざるを得ない。

藤田さんは、「まったく、人の子どもを我が子のように・・・」と担任をなぐさめたり、あきれたり。
職員全員が力を落とし話し合う。
お国柄だからしかたないよ。文化も子育ての歴史も違うんだし・・・。
Aはきっと、ここでの2年間を糧にしっかり行きて行くよ

さぁ、私ことたみこさんは、Aに責めるようなこと言って悪かった。
この先もずっとAとは友達だ。中国に行っても・・・いつでも帰っておいでと、言ってこなくちゃ。

あ〜ぁ。

今夜はギョーザとレモンハイか。

 

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