たみこさんの部屋
2016年1月
〜 満面の笑み 〜
(きみちんは語る)
新入児の一日入園が先日ありました。
4月からの入園に向けて、園服や帽子、カバン等をお渡しする日でもあります。
4月から毎日園服を着て、帽子をかぶって。。。
「キャァ〜!かわいいだろうなぁ〜」
一日入園が終わった間もないある日、
外を掃除していた主任のきみちんが、ほうきを手になにやらよっしーに語っています。
「園服を広げてね、サイズ合わせをしながらね、お母さんたち、本当に本当に、満面の笑みなのよ。その顔がパァ〜っと明るくて、嬉しくて嬉しくての顔なのよ。
私もそうだった!
この幼稚園に娘入れるとき(卒園時の母でもある)園服広げながら、思ったよ。
あ〜。大きくなった!
いよいよ幼稚園だ!
この園服着て、かわいいだろうなぁ〜嬉しいなぁ〜って。
その時のこと思い出したよ!!」
来年度、障がいのある子が、何人か入園します。
前にも書いた(?)どこの園からも断られてしまったその子たちに、
覚悟を決めて入園をしてもらうことになりました。
その子たちのお母さんの笑顔のことです。
きみちんは続けます。
(どこまでも・・・続けます・・・)
「ネッ!みんな同じ!どの子も同じ!
どのお母さんも同じ!
我が子が大きくなって入園する。
園服園帽子、幼稚園に行く。その喜びよね。
本当に本当にパァ〜っと輝く笑顔、満面の笑顔だったよ。
一緒に育てようね、と心から思ったよ。ねっ?」
涙を流して話しているきみちん...。
そういえば、以前卒園していった子のお母さんも、あちこち断られ、ここに入園が決まったその日、「幼稚園入れるって!と何度も子供に語りかけながら、光がさんさん輝くなかを、バギーをガンガン押して帰ったあの日のこと、忘れられない」と話してくれていたっけ。
障がいがあろうがなかろうが、子どもはみんな、同じです。
入りたいと思えば、幼稚園や保育園に入って、大きくなるのです。
「パァ〜って明るい、本当に輝く笑顔でね・・・」
きみちんは、涙を流し、まだまだ熱く語っている。
聞いているよっしーも私も、泣きます。
冬の日差しの中、ほうきをもって、泣きながらのこの3人。
きみちんの涙のようなあったかな時間が流れて。。。
4月から、いっしょに楽しく、幼稚園で遊ぼうね。
職員の皆さん、ともに頑張りましょう。
給料は低いままです。
でも、望みは高く。
共に生きようとする喜びは、深く。
2016年2月
〜 父…再び父 〜
父が創立した保育園を継いでいた弟が園長を解任されるというわけのわからない理事会のことを考えると、怒りで眠れない(飲食もできない…嘘w)。
浅い眠りで目を覚ましてしまうと、父のことを考える。
保育園に住んでいた小さな私たち子どものまわりには、いつも、いつも誰かがいた。
いたというか…住んでいた???
保育室は夜になると子どもはいなくなる。
すると、どこからともなく、お兄さんたちがやってくる(帰ってくる)
遊ギ場という、ホールの様な場所にどこから持ってきたのだろう、ふとんの様なものを集めて、何人も、何人もがあちこちにかたまっては、寝込んでいる。
多分、当時の「勤労学生」という名の貧乏な家賃の払えない…お兄さんたちを、父が受け入れていたのだろう。
早起きした私たち子ども(園児ではない子ども)が寝込んでいるお兄さんたちのふとんの周りでドタバタ走り回っても起きやしない。
登園してきた園児たちが大挙して押し寄せて、ようやくふとんを抱え、慌ててどこかへ消える。
かくして宿なし兄さん方の宿泊施設から、保育園へと、あるべき姿にもどれるってわけで…。
そうそう、私たちには「書生(ショセイ)さん」と説明していたっけ。
寝場所を提供するから、庭掃除や力仕事やらをしてくださいね、ということらしい。
でも別に保育園を手伝っていた様な記憶はない。
いやあ、歳をとるわけですね。
戦後間もない食べるにも事欠く時代のことですねえ。
我が家には、いつもおなかをすかせただれかしらが住み着いていて、いつだったか、アルミのお弁当箱を七輪(知ってる?)にかけ、うれしそうに…お兄さんが「たみちゃん、ヨウカンつくってやるぞ〜、甘いぞ〜。待ってな!」と。
・・・私はそれをじっと見た。
なんだこれは!?
四角い。 黒い!
食べた覚えはないから、多分失敗したのだろう。
でも、お兄さんたちが一生懸命貧しさの中で学んでいたこと、お団子のように固まってホールで園児がくるまで寝ていたこと、覚えているなぁ。我が家は家族だけの静かな家ではなく、いつもだれかが食堂のテーブルにいて、ワイワイとやっていたっけ。
困っている人はいらっしゃい。
わけあって食べよう。
そう父は教えてくれた。
大切なことを教えてくれた。
そして父は時々、オルガンを弾いて、賛美歌を歌う。
仲がいいとは口が裂けても言えない夫婦の父と母だったが、(なにせ父は今でいうイケメン、もてたのよねぇ〜)
「私は賛美歌の◯番、好きよ」と母。
「うん、これだね…。弾くから、歌おうね」と父。(なんて美しい二人)そんな時間は忘れようにも忘れられない。
園児は、疲れ果てても仕事をしないとならない親たちに連れられて、保育園にやってくる。
先生たちの笑顔に守られて、1日の大半を保育園で過ごす。父は進駐軍にガムを投げつけられている子供達の居場所をなんとしてもつくりたかった。
お母さん方が昼間安心して仕事をするための保育園が、どうしても必要だと考えていた…。
だから、捕まるかもしれない危ない橋をわたってでも、古材を運んで、園舎を作ったのだった。
葛飾区の1号高砂保育園(今はいとこが園長です)、そして金町保育園と、次々と、老人ホームや保育園作りの手伝いをしてきた人だ。
その歴史と思想は永遠だ。
名前は消えても、思いは、願いは、消えないよね。
子どもたちや、親や、職員へ、確かな愛情をきっと残したし、その種はあちこちで花開くよね。
(毎日毎晩、必死に自分に言い聞かせている私)
私は多分、くやしいんだ。
仏様につかえ、万人を慈しみ、その道を説くべきお寺さん!
保育園を、子どもを、親を、なめてはいけません。保育は大人にとっても学びの場。
子どもから、親から、そして科学から学び続けなければ、成り立ちません。
この仕事は、人を育てるのですから!
ビジネスでは、決してないのです。身内の就職先でもないのです。空から見ているであろう父は、戦時中、子どもを連れて「疎開」しました。
「かわいそうだったなぁ」と呟く声が忘れられません。
そして、戦争は二度とやらないという私立保育園の園長たちの集まりに入り、静かに活動していました。私も父の後を継いで、戦争に子どもを連れて行かれないように…と、
残された時間、悔いなく働きます。
見ていてください。お父さん。
そして私もそんな遠くない日にあなたのところに行くことでしょう
また会う日まで。
2016年3月
〜 卒園式、終わりました 〜
卒園式も終わり、あのかわいかったまつさんが小学校へと飛び立って行きました。
式の終わりには、リズムの「大わし」になって、式場から飛び立っていくのですが、その力強さとけなげさに涙があふれます。
卒園の歌は「旅」です。
粉屋の修行をした若者が旅に出るのが夢だった…と旅立つのです。
歌詞の中で「親方、おかみさん、無事を祈ってくださいな、さぁ〜出かけます」というのがあるのです。
そのとき、この歌詞のところにくると、『おかみさん』の私は叫びます(練習の時は本当に声に出して叫びます)
「行っておいで!!」
卒園児のなかには、中国へ帰ってしまう子がいます。
もう一人、いろんな事情で日本だ中国だと行ったり来たりする子もいて…。
言葉が全然わからないで、おうちでは中国語、幼稚園では日本語。いったいどうやって遊べばいいのか、と大人はみんなで悩みます。
辞書を持ってきて喋ろうとしてみても、まるで通じない。
近くの中国料理屋さんに連れて行ってそこの人とおしゃべりしてもらって気を紛らわしたり…。
そうだ、言葉がわかる在園児がいるじゃないの!
とハタとひざを打ち、その子を連れてきてお願いする。
「ねえねえ。お願い、この子なんて言ってるのか、聞いて!」
と頼みます。
すると、ウンと力強くうなずいたその子(A)は
「なんて言ってるの?」とキッパリと日本語で…。
「ちがうちがう、中国語で聞いて!」
すると
「ちゅうごくご! で聞いて!」と。また日本語。
まぁ、そりゃそうだよね。
通訳してと言われたってねぇ。
そんなこんなでジタバタ、ジタバタしながら、Aはいつの間にか素敵な通訳へと成長してくれたのです。そして、言葉のわからないBも、まるで日本語のように母国語を使ってお互いワァワァしゃべりあっている。
「?」と近づいてみると、たしかに言葉は入り乱れて大人にはわからない…。
で、どんどん言葉も覚えて、笑顔も増えて…。
本当にどうってことないんですね。国が違うなんて、なにほどのことでしょう。
…国同士、仲良くなるなんて、できなくないんですよ!
空爆とテロのニュースの中で、深く思います。
心から愛した私たちは、いつもあなたたちの味方です。
どこまでも応援しています。
安心してどうぞ…
「行っておいで」
2016年4月
〜 やさしいって なんだっけ なんだっけ〜 〜
幼稚園の職員室兼事務室兼子どもの遊び場兼研修室のここでは子どもが帰ったあとは子どもの話であふれている。
このところ話題になったのは、NHKのテレビ「クローズアップ現代」の『頻発する保育園事故』。
我が子がようやくたどりついた保育園で死んでしまったら…。
いま、「日本死ね」のママたちのネット発信から、国はとりあえず箱を用意しようと焦っている。でも数があればいいというわけではないよね。子どもにとって心から安心できる環境、信頼できる保育園で健やかに育って欲しいのが、みんなの願いだよね。
などなど、熱く語る。
そして、職員のだれかが研修に行って、みんなにレジュメをつくって伝えてくれることもあります。
自分の学びを職員全体へと広げ、その質を少しでも高めたいとの思いです。
もちろん、私も読んだ本から「これは!」というところはすぐ職員みんなに伝え、そのことについて話し合います。
先日は「自己肯定感を育てる」というテーマで話し合いを持ちました。
わが職員の皆サマは、じっくり読むには大変時間がおかかりでとなりに座るやっすぅ〜ことYさんなどは、
「たみこさんからきくと、ナルホドとよくわかるのよねぇ」
などと、おべんちゃら(ゴマスリ?おせじ?)を言ったりしてくれるので、
その気になりやすい私はせっせと読み、考え、話をする。
その中でのこと。
本の中で、年中4歳の子がお弁当の準備の時のこと。
牛乳をこぼした子のとなりにいたやさしい子が、その子といっしょにそのかたづけをして、ぞうきんを洗って、戻ってみると、他の子たちがすでに食べ始めていた。
それを見てやさしいその子は、
「私はこぼした子の片付けをしていたのに、みんな待っててくれない!やさしくない!」と怒りはじめたというのです。保育者は、こぼした後片付けをしてくれたことと、みんなが先に食べたことは別のことではないかしらと、対応をちょっと考えてしまった。
その時のやさしいその子が担任に「・・・ねえ、やさしいってなに?」と思わず聞いたという。本では、その担任が「やさしね」とほめたり「やさしいこと」を評価していることが多かったという。
おなかがすいている子は、待たないとやさしくないのか?
自分はその子たちにやさしい子として食べるのを待っててもらえるはずではなかったか?
と、「やさしい」を疑問に思ったのかも。
そして我が職員室でも、障がいのある子に対してみんなとても自然でやさしいけれど、ちょっと手を貸してくれたりしているのをみると、うれしくて「うわぁ〜ありがとう!やさしいねえ!」とよく言ってる。
そのうち、何かしてくれているとき、担任の方を見ながらしている子もいたりした…。でも、3歳年少なんて、まるで気にしないで関わってるよね…。など、お互いのたくさんの思いや子供の姿を出し合う。
「やさしいなぁ〜」と思っても、そう言わないほうがいいのかな?
でも、その子たち、みんなやさしいのよね、と結局子ども自慢になっていくのだが…。
時々は本当に深く学び、考え合う研修時間を持っているのです。(これでも…)
そういえば、先日電話会社らしい電話がかかってきました。
私たちは話し合い中で、事務のヒデさんが対応してくれました。
そのうちに聞こえてきた言葉。
「あっ、うちの園長、話聞いてもわからないと思います」
「うちの園長、宣伝みたいな、お知らせみたいな手紙はほとんど捨ててますよ」
「読んでも聞いても、うちの園長わからないタイプの人ですから!」
ど、、どんなタイプ?
合間に聞こえてくるそんな言葉に、思わず誰かが言った。
「ここの園長、まるでダメだね。
発達障がいがあります、と言ってる…」
みんな深くうなずく。
たしかに…。
でも私は、そんなふうにさっぱりわからないことから守ってくれるヒデさん、やさしいと思う…。
えっと
やさしいってなんだっけ?
2016年5月
〜 幼稚園の創立記念日〜 〜
6月1日は幼稚園の創立記念日です。
65年の長きにわたり、この幼稚園はここ江戸川区の小岩にあるのですね。
先代の園長、伯父(私の母の兄)が初代の園長でした。
伯父は80歳になるまで園長として卒園証書を渡していました。「これで、私の園長としての仕事を終わりとします」
と、挨拶した時のことを思い出します。
私はホールの裏で泣きました。
そして、伯父はそれから7年後に亡くなりました。
先日、私はだれかに、
「あなたは、いくつまで仕事を続ける気でいるの?」
と聞かれましたっけ。
いくつまでって…聞かれてもなぁ〜
藤田さんと仕事しながら倒れるという予定は予定なのですけれど。
あと10年?
きっと無理だと思います。
だから、今できることを一所懸命にやって、子どものそばにいて、
子どもの未来が明るいようにと仕事するしかないんです。
職員室のパソコンのかげで事務の仕事をしているヒデさんのお父さんは、先代の園長のそばで、ずっと大黒柱として仕事をしてくれていた人です。
50年以上、対外的には園長でした。
伯父はな〜んて楽だったことでしょう。
心の底から羨ましく思います。
その人は、事務室で一度、脳こうそくで倒れました。
お家でおひとりの時に倒れたのでないことはよかったです。
誇り高いその人を説得してなんとか救急車にのってもらい、その処置の速さで短時間の入院治療で済みました。
職員みんなでオロオロしながらも必死でした。
そして、息子さんであるヒデさんに、少しずつ仕事をひきついでくれました。
その後、73歳で亡くなりました。
その人は以前、幼稚園の土地のいくらかを持っている地主さんでもありました。(今は私が借金して返しつつ…買いました)
伯父は生涯独身、ガンコそのものの世間知らずのわからずやの純情派。あつかいにくいったらない人でした。
時々ぶつかります。
すると、
「あの園長先生となんとかやっていけるのは、ぼくとたみこちゃんだけです」
とコソっと言ってくれました。
伯父が亡くなり、とんでもなく面倒な手続きを経て、私が正式に園長になりましたが、その間のすべての指示もしてくれました。
よくある地主さんとのトラブルなんてまるでなく、すべてを仕切ってくれたのです。
恩人です。
「家族」って、血では無いかもしれない。
しみじみと思います。
まちがいなく、家族でした。
6月、創立記念日になると、必ず思い出すことです。
そこで…折り入ってお願いがあります。
ヒデさん、お父さんみたいに、対外園長になってよ!
(ムリです!)…ヒデ。
ヒデさん、お父さんみたいに、頼むから園長会行ってよ!
(ムリです!死んでしまいます!)…ヒデ。
やっぱりダメか…。
2016年6月
〜 私が間違えました! ごめんなさい! 〜
ここの幼稚園は、みんなよく間違える。
(失敗する。ドジる…。)
書き連ねればキリがない。
最近では、マチャト(職員)が、朝から謝ってまわっている。
目覚ましをかけたのに、なんと1時間以上遅く起きてしまった…。(実際にはそれほどすごい遅刻ではなかったけど。)ただただ、「ごめんなさい」だ。
私はおごそかに言う。
「保育に支障がなかったからまぁいいけど…気をつけるように」
(エラそう〜!)
もうひとつは暑中見舞いのハガキを買って代金を現金封筒で送るというむずかしいことをした(?)、いつも出すようにお願いしているテレちゃんに「出してね!」と他の郵便物と一緒にたのんだら、「ハイ!」とさわやかに返事をしてくれて、「これでよし!」。
次の次の日、郵便局から電話が。
「ポストに現金封筒を入れてはいけません。
本局まで、本人を証明するものと幼稚園を証明するものを持ってくるように!」
と…。
ギョッ!
「現金封筒ってポストに入れちゃいけないの!?」
いいじゃないねえ。
丁度ポストに入る大きさだしねえ。
「本局いくの?メンドーだなぁ。
免許証だ?幼稚園である証明書だぁ?
行かない! ほっとこう!」と私
電話を受けたみやちゃんが、「困りますよ。私が電話受けたんですから。名前も言ったし。間違えてスミマセン’って、いってきてくださいよ!」と言っている。
「仕方ないなあ〜」と私はしぶしぶ出かけけた。
だって、主任のきみちゃんも昔区役所の総務課に「灯油配達してください!」ってまちがえて電話してたし、亡くなった大串先生も、運動会のプログラム間違えてとばして、マイクで「ごめんなさい」って謝ってたし…。
伝統だよね!間違えは。
そして先日のコト。
いつも誕生会はその月の最後の週の水曜日にやっているのだけれど、やっすぅ〜がいろんな人や子供の誕生日(やっすぅ〜自身も6月生まれ)やらで、ただでさえぐちゃぐちゃな頭がさらにこんがらがり、一週間前なのにクラスの子供達に帰りのしたくの時間、高らかに宣言した。「みなさ〜ん! 明日は、楽しい誕生会で〜す
はいてきたい子はスカートでもいいよ!
今月のお菓子をご紹介します!
(とわざわざおみやげのお菓子を見せる)
絵本のプレゼントもありますから、通園バッグがあるか、ちゃんとみてみようね。
さぁ〜、明日、楽しみにね〜!」とすごい念の入れよう。
家に帰った子はお母さんに言いました。
「明日誕生会だからどのスカートはいていこうかな?」
年間予定をわかっているママは、
「ちがうよ。誕生会は、明日じゃないよ。この次の水曜日よ」
その子はゆずりません。
「なによ! やっすぅが言ったんだからそんなわけない!
あしたは誕生会だ! やっすぅ〜が言ったんだ!」
朝から誕生会にはいていこうと思っていたスカートを前に、お母さんと涙のバトルが…
「やっすぅ〜が言ったんだから!」
その一点から、その子は一歩も引かず、涙をふりとばして幼稚園にスカートでやってきた。
(やっすぅ〜への信頼と愛を込めて)
ガーン!
やっすぅ〜のバカ!バカ!
やっすぅ〜はひたすらあやまる。
「ごめん。ごめん。ごめんなさい。混乱して一週間間違えちゃった」
朝から言い合っていたお母さんにも電話してあやまっているやっすー。
子どもにもペコペコ何度もごめんなさいと頭を下げるやっすぅ〜に子どもたちはやさしい。
「いいよ。いいよ。そんなにあやまらなくて…。」職員みんなに笑われて、「やっすぅ〜のクラスだけ誕生会やったら?」
などと言われて…。やっすぅ〜自身も謝り疲れて自分で笑っちゃっている。
そしてコソっと
「たみこさん、そんなわけで、かくし持っているお菓子を、おわびのしるしにうちのクラスだけすこ〜し、ないしょで食べますからね。」だって。いやいや、まちがえは誰にだってあるよ。
ただ、たしかにこの幼稚園は、まちがえ率がかなり高い。(自慢ではありません)ただ、お母さんたちもたいしたもので、曜日や日付の間違えなどはいつものことなので、「この日って?」などと聞いてくる人は誰ひとりいない。
「ア、また、まちがえてるんすねぇ〜」
いいんだろうか。これで…??
(いいわけないっす)
子どもたちはきっと思っているだろう。
大好きな大人への心からの信頼を胸に…。
「あの人だってまちがえることがある。よし。許してやろう。
…そっか。まちがえたっていいんだ…。」と。
2016年8月
〜 豪雨のお泊まり会 〜
7月14日〜15日、年長のお泊まり会がありました。
子どもも、大人(私たち)も、どんなに楽しみにしていたことでしょう。
事務所での準備も、みんなニコニコ、ニコニコ。
一人一人の子どもの喜ぶ顔を目に浮かべて、それはそれは楽しみにしていました。その時は…。
ち〜っとも天気のことなんて、心配していなかったのです。なんでだろう。。。
きみちんの雨女疑惑もなくなり、ひたすらたみこさんの行いの良さ(?)がとりざたされていて。
雨は降らないだろうという妙な確信があったのです。ところがその当日になって、なんとも雲ゆきがあやしくなって…
なんということでしょう。お泊まり会が始まってすぐに雨が。
青くなった私は、見られもしないスマホから、天気予報を探し出しては、天気図や雨雲レーダーなどをにらみつける!にらみつける!!
でも、気をもんでみても雨はどんどん強くなり、外であそぶはずの遊びは急きょホールで行うことに。
スマホをにらみ、カレーをにらみしている事務所の上では、われんばかりの歓声と笑い声。楽しんでる!
楽しみにしていたおふろやさんはどうする?
きみちんが時間の変更をおふろやさんにいう。
でも、傘をさして銭湯にいくまでにびちゃびちゃになってしまうよね…。よし!
○○時まで待って、
ダメだったらおじさんに車でピストン輸送だ!送迎してもらおう!これも急きょ!
子ども達は
「ハーイ!では車で銭湯行こうか!」
と呼びかけるとキャアキャア喜んで乗り込む。
移動するドシャブリの中で、子ども達はもっと喜ぶ!
「ワァ〜!キャア〜!」
その叫び声に「楽しいよ!」との思いがあふれている。キャンプファイヤーの準備を、
びしょぬれになりながらなんどもしてくれているおじさん。夜店も急きょホールでやろうと変更。
職員達の動きの素早さもお見事!
「どうしましょう、こうしましょう」と、
グズっと迷うそぶりすら見せません。アッ!という間もなく、サ・サ・サっと動きます。
天気図見て悩んでる場合じゃないんだ!
キャンプファイヤーはできなかったけれど、
ホールでまるくなって「キャンプだホイ!」を大声でなんども歌いました。
外のキャンプファイヤーでは見えにくい子どもの顔も、
ホールでははっきり見える。その良さも強く感じました。
輝くようなひとみと、はじける歌声。
肩くんでなんども歌うキャンプだホイ!
肩をくんだとなりの子が、ボソっと私の耳もとでいいました。
「ネェネェ、たみこさん、楽しい!!」
うん!
楽しいね!!
雨なんかなんてことないよね。
豪雨のお泊まり会は、本当に楽しかった!
でも、
しばらくは天気図は見たくないっす!
2016年9月
〜 話し合い 〜
読んでくださっているのは10月1日運動会の後ですか?
夏休みも終わり、運動会に向けてみんなで楽しくもりあがり、ぐんと子ども達の成長を感じるこの時期です。
年中や年長の子ども達が、大人達をまじえて<話し合う>姿がよく見受けられます。たとえば、年中の子達。
AはBの事が大好きで、よくくっついて回っている。
遊びの時も、お弁当の時もそばにいたい。
するとBの方がちょっとイラつくこともある。
なんだか嫌な顔をして逃げたり、必死に追ってくる子をちょっと面白くなって笑って逃げたり…。
見とがめた担任が「なんで逃げるの?」と聞くところから話し合いがはじまったりする。子どもって、なんでだろうと不思議に思うけれど、好きだからくっついていたいってすご〜くシンプルに思うのです。
自分がもしかしたら「ご迷惑??」なんてひとつも考えないのです。
だから、そばに来たらイヤだよ、とか言われても「???」。
素直でかわいいよなぁ、と私は思いますが、「イヤだよ」と思う子にも、理屈があるのです。いわく「他の子とも遊びたい」
いわく「ず〜っと前にイヤなことした」そうか…。
そうなんだって、と話をする。
ず〜っと前の嫌なコトを思い出し思い出し話をすることもあります。
された子のほうはかなり細かく覚えていて、なるほど、それはイヤだったね。とみんなで納得します。
時には再現ドラマ風にやってみたりもします。
その再現のあまりのうまさに、大人一同驚いたり感心したり、笑ってしまったり。
イヤだった子も、その話し合いの中で、スッキリしたり。
本当に面白いのです。話し合う。別に誰かが悪いということを決める会議ではありません。
自分の思いをどうにかして言葉にしてみる。思いを伝えようとする。
わかろうとする大人もそばにいて、それをまた言葉にして、相手の子に伝えていく。
そこでの大人の役割は、良し悪しとか、こうあるべきではなく、思いをくみとり、くみとりしながら聞き伝えるコト。(だから、これはとてもむずかしいのです。実習生が「こんなことはとてもできない!」と泣くところでもあります)
先生として導くことが先行するのではなく、子どもの話を聞きとり伝えていくことは、私達が自分の全人格をかけることです。人を人の気持ちをどうとらえるのか、どう人を見るのか、全てを出さねばなりません。
先日は、年長の運動会リレーの練習のこと。どうしても走るのが遅い子がいるグループでは、その子がいると勝てないということがわかってきます。
たまたまその子が休んだときに、そのグループは負けなかったのです。当然、その子をグループに入れたくないという子もいます。
そうだよね。いなければ速いよね。「では、リレーには走らないでもらうか?」
と意地悪たみこが…。
もう2年以上もいっしょに泣いたり笑ったりしてきたみんなは、「ちょっとちがう…」という。
「だって、Oだってまつさんだよ」と。
「Oが遅かったら、その分、私はやく走るよ」
などと話し合いを始めます。「Oを最初にして、その後で早く走ろうよ」
と考えあったり、(これ本物の知恵ですよね)あしがはやい子もいれば、そうでない子、
おしゃべり上手な子もいれば、そうでない子も。こうやって、みんな学んでいくんだね。
「Oがいると負けちゃう・・・」
と感じて言った子も、必死で走っていました。
いいんだよ。
そう思うコトもよくわかるよ。ところで、そんな話し合いをかぎつけては参加したがる私。
子ども達はなぜか、私のことがちょっとコワイ…。(こんなにやさしいのに)
話し合いにしのびよっていくと、子ども達にちょっと緊張が走る。
不思議だ。
この間、ばらさんの連絡ノートを笑いながらきみちゃんが持ってきてくれました。
そこには、テレビのクレヨンしんちゃんをみていた子が、「しんちゃんの幼稚園にはエンチョー先生がいる。うちの幼稚園にはエンチョー先生いないよ」というのでお母さんが「実はね、たみこさんって、エンチョー先生なんだよ」とばらしたら、3秒ほどかたまっていて「エ〜っ!?」
たしかに、うちの幼稚園には、エンチョー先生はいない!
ごめんね!
しんちゃん!
2016年10月
〜 運動会後の幸せな幼稚園報告 〜
雨にたたられ(またしても!)60何年かのなかの(10以上は覚えられないワタシ)初!
開会式を体育館でやりました。順延すれば晴れることはわかっていたのですが、なんとしても、高まり、盛り上がった子ども達の気持ちを延期することでしぼませたくない!との思いが強く、体育館での開会式となりました。
でも、まつさんの「野こえ山こえ」などはすぐ目の前で斜面板をかけ上る迫力ある姿に、会場から「オ〜!」と歓声も聞こえて、体育館での良さもありました。
でも、外でやりたい「リレー」「エイサー」などの時には、大移動して、広い校庭で思う存分にやれました。手伝ってくださったお父さん、お母さん、
応援してくださったみなさん。
本当にありがとう!!そして、いつもの年よりはやく終わった運動会後の幼稚園はというと…。
年長さんの見事な鉄棒逆上がりをまぶしく見ていた年中さんたちが、がぜんやる気をだして人間鉄棒に列をつくります。 他にも大変な歓声で(ご近所さんごめんなさい。止めようのない大歓声でした)もりあがって再びのリレーをやったり。
運動会がこうしてみんなのものであったことを嬉しく確認しています。
さて、ではさっそく散歩に…と、年長はお弁当を持って電車に乗って、「柴又」へ出かけていきました。
帝釈さまで熱心に願い事をしたのち向かったのが「矢切の渡し」〜連れて 逃げてよ〜♪
船に乗りたいと子ども達ののぞみに応えるべく、やっすーが船頭さんに交渉。。。
「のりたいのです。ぜひ、乗らせてください。向こう岸に渡っても逃げるわけではないので、戻りたいのです。往復の料金を、ちーーっとばかり、まけてもらいたい」船頭さんは「しょうがねえな〜。一度だけだよ」
と、2度と来ないことを約束して、格安で乗せてもらいました。
まつのみんなの喜んだことといったら…。
例によって、一番喜んでいたのは担任達、
と実習生のノートに「先生達が一番楽しんでました」と書かれてやんの!土手の芝生に寝転んで、みんなで両手を広げて「きっもちいい〜!!」と叫んでいた、まつのみんなでした。
そして、近所の服部おじさんが秘密の「どんぐり公園」から、どんぐりをたくさん持ってきてくださいました。
「ワァ〜、どうしよう? マラカスつくる?
子どもに平等に何個かずつわける…?」など、ワイワイと相談。あ〜でもない、こ〜でもない、といつものようにまとまらない話が続く、続く…。
決まらないったらありやしない。保育者歴40年以上(?!)のたみこさんのアイデアはこうだ…。
「この園庭のスミっこやアチコチにどんぐりをまいて、みんなでひろうのは?」それがいいねえ…。と、みんな。
ビニール袋を持った子たちは、目をキラキラさせてどんぐりを拾います。
<これぞどんぐりまなこ…(?)フフッ>楽しそうだったなぁ〜みんな。
思いついたたみこさんって、すごいなぁ〜
(誰も言ってくれないから、自分で言う)そして、産休明けの(4人目だぜ!)ちかチャンが、れいによってあぐらをかいて座り込み、どんぐり笛をつくりはじめる。
さっそくピーピーふいて自まんげなちかちゃん。
私もとりあえず1個とりあげてふいてみる…うまくふけない…。年長の上手に吹ける男の子が、少しあわれむまなざしで、
「どんぐりに唇をあてるんだよ。あてる場所をよく見て、そして、息のふき方だよ。よく見て!」
と教えてくれた。この教え方の、なんと的確! なんとわかりやすい! 私よりも60歳以上年下の男の子にこんなふうに教えてもらえるなんて…。
でもなかなかうまくいかない。どんぐり先生ことちかチャンが、バカにしたように私を見て笑う。
幼稚園じゅうに、どんぐり笛がピーピー。ピーピー。
しあわせな時です。
2016年11月
〜 修行 ─ あるいは、苦行 〜
2歳になる孫は、なぜか演歌好きだ。
はっきり言おう!
私は演歌が苦手だ。
テレビでその手の歌番組などが流れると、即チャンネルを変える。
車で遠出の時にラジオから演歌が流れると、何人が同乗していようと、有無を言わさず消してしまう。
肌に合わないというか、ふるえがくるというか。ある夜のこと、私と孫は、2人でテレビを見ていた。
歌番組がはじまってしまって、コントローラーを探しているスキに、孫はおもちゃのマイクをとり出してノリノリで「ウー」とか「アー」とか歌っているではないか!
もしやこの子は演歌好きか!?
そのうち「オオママも!」(私のこと)と指示がきた。
バザーで買ったキラキラのマイクを持たされて「ア〜」とか「ウ〜」とか歌わされるはめに。首の曲げ具合、手の広げ具合、コブシのまわし具合、
なにひとつうまくいかない。うまくいくわけがない。
ぜひ一曲で終わってあきてもらいたい…
と念じるが、次の曲が始まるのをうれしそうに待っている孫。そのうち、なにを思ったか「おんぶ!」の要求が。
仕方なく、10kgを超えて、そりかえりそうなその子を背中に…。本人はたいそうゴキゲンで歌っている。
首も肩もただただ重たい…必死に落っことさないようにおんぶし続ける私。
すると、「オオママも歌って…」とのお達し。「エ〜〜!」
片手で背中の子を支え、片手でキラキラマイクを握り締め、
2人で「ア〜」とか「う〜」とか歌う。想像してほしい。
疲れ果てたバァバと演歌好きの2歳児のその姿を…。
もう一人の私の声が聞こえる。
「一日仕事して帰ってきて、なにが悲しくてこんな苦しい目に合わなくてはいけないんだ!?」
私はクラシックかなにかを静かに流して、きちんといれたコーヒーを飲みながら、一人の部屋で大好きな本を読んでいたいんです。神様私なにか悪いことしました?
人生、思い通りにはいきません。
心から再確認します。
・・・
眠りが悪く、目が覚めてしまった夜中に、
しみじみと思いを巡らす。
(一体、だ、だれに似た!?)
「くもりがらすを手でふいてぇ〜
あなた、明日が見えますか〜?」(つばきの宿?さざんか?)
私には、明日は見えないです。
保育の仕事をスパッとやめて、シニア演歌歌手としてデビューしてたら、ごめんね。
2016年12月
〜 愛読者 〜
ホームページを読んでくれる人のことを、愛読者サマと言ってもいいのでしょうか?
園の見学などで来てくださる方の多くが「ホームページ読みました・・」この一瞬の間に小心者の私はたえられない…。
つ、次に何を言われるか…あわてて一応謝っておくことにする。「す、すみません。ふざけてて…。」
思ったこと、言いたいことをただ、アホみたいに書いてしまうワタシ。
でも、たいがいの人は苦笑しつつも「いえ、楽しく読ませていただいています」とかなんとか、なぐさめてくれる。アリガタイ。以前、この幼稚園でいっしょに仕事していた人達は、顔を出してくれるたびに「月末になると、そろそろ更新してるかなぁ〜って、ホームページのぞきます」って言ってくれたり、お引越ししたお母さん方も、読んでくれているのよねぇ〜。
アリガタイ。アリガタイ。孫の通っている保育園で私のいとこが保育者として働いています。
顔を合わすことはあまりないのですが、「おねえチャン(私のコト!おばチャンではないよ!ましてやおばあチャンでもない! おねえチャン!)読んでるよ!」と言ってくれたことがあります。このいとこは、おじさんの子ども、この子のお母さんも、私が物心ついたときにはもう保育者でした。この一家はしばらく私の実家で暮らしていました。私が大学生の頃、授業が遅い時、父も母もおばもみ〜んなが働いているその時に私はグースカ寝ていたりするのです…。
すると誰かがドアをそーっと開けて入ってきて、寝ている私のふとんのなかに「なにか」を入れていく…。あたたかな、やさしいにおいのする、やわらかいもの…。
「赤ちゃん」でした。
そのいとこがうまれて、今のように産休明けの保育がきちんとしていなくて、
(今もちゃんとしていないですよね。いわゆる待機児童か…。)
仕事をしなければならない誰かが、のんきに寝ている私のふとんの中に、入れていったのだ!赤ちゃんを!!私といっしょに眠っていたその子が歩くようになった頃、私の大学での卒論の時がきました。
1歳児に読み聞かせする、その反応は…と、私は「大きなかぶ」を用意しました。
(福音館のあの!)目を輝かせて、見て聴いているその子。
「もっかい!」
その日、何度読んだでしょう…。
次の日の朝、遠くの廊下からペタペタペタペタと小さな足音が近づいてきます。
耳をすますと、まわらぬ舌で「じったん、ばったん」(おじいさん、おばあさん)
「じったん、ばったん」と歌うように言っています。
戸を開けると、赤いハンテン(そういうのが昔、あったのです)を着た、小さなその子が立っていました。「大きなかぶ」の絵本を読んで!と言いに来たのです。
そして私は保育園の子ども達にも絵本の読み聞かせをして、卒論を書き、その後、幼稚園と保育園の資格をとり、卒業と同時に保育者への道を歩き始めたのです。
45年以上、この道を歩いています。ふぅ〜。
赤ちゃんだったそのいとこは、私の孫の保育園で仕事していて…。
この年月を・・・思います。
(父も母も、おじもいなくなった)廊下を走ってくるあの足音が、今でも聴こえています。
そして、あたたかな波となって、私を満たしていくようです。
(ずっと保育者でいよう。。。)
愛読者の皆さん、ありがとう。