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2008年12月のたみこさんの部屋

「私の初夢」

いつも見る夢があります。
3パターンくらいをよくみます。

ひとつはどうしても乗りたい電車に乗れない夢。

ひとつは学校の試験で単位を落として補習を受けなきゃいけないのに教室が見つからない夢。
ものすごく焦って

もうダメだ! 留年だァ〜!

と、ここで起きます。

そしてもうひとつ、これも本当にあった話です。

30年以上も前、保育券で保母をしていた時のこと。
天気もよく、その日も子どもたち教歩に行ってました。
担任していた年長の子どもと「町内探検の旅」と称してあちこちの路地を歩き回っていました。

ある2階建てのアパートの近くを通りがかったとき、
M子が私の手をギュっとにぎってちいさな声で言うのです。

センセ、私のお母さんあそこのへやにいるのー

え、だってMちゃんちはここじゃないよね?

するとM子は

お母さん、あのへやの男の人といるの。お家に帰ってこないの

そして小さな声で「おかあさん」とそのアパートの窓に向かってよびかけたのです。

M子には妹もいて、M子は妹の面倒もよく見るとてもしっかりしたいい子なのです。

おかあさん

もう一度M子が声をあげました。
その声の切なさに私は(思わず・・・・・・そう、どうしたことか!!)M子といっしょになって「おかあさ〜ん」と呼びかけてしまったのです。

そばにいて話をきいていた子どもたちも、大好きなM子のよびかけを応援しようと、いっしょになって声をはりあげはじめました。

おかあさーん!! M子ちゃんのおかあさ〜ん

帰ってきてー! M子ちゃんのお母さん!

──おだやかであたたかのこの日差しのなか、
   子どもたちと私とM子の声が歌うように響きわたって──。

もちろんそのアパートの窓は開けられることはなく、私はM子の手をしっかり握って保育園へと帰っていくしかありませんでした。

その数日後のこと・・・

帰らないお母さんに、M子のお父さんが困り果てて自分の母親に相談したらしく、突如おばあちゃんが「M子と妹は私のもとで育てます」とひきとりに来られました。

その時はお帰りのまえの集まりで、今日一日嫌なことはなかったか、やりのこしたことはないか、などの話し合いを終える頃、ある男の子が、
ジュリー(知ってる?沢田研二だぜ!)のマネをして歌を歌いたい
と言い出して、絵本を読むという私とバトルをくりひろげていました。
下手なジュリーのモノマネきくより、私の本のがいいよね
等ともりあがっているときです。

M子のおばあちゃんは、事情については詳しくお話したくないご様子で、そそくさとM子をせかせています。
口を開けているだけの私と子どもたち。
するとドアのところまで出て行ったM子が、
クルッと後ろをふりかえり、私と仲間たちにむかい、
深々とおじぎをしたのです。

つややかな長い髪が、M子の顔を一瞬おおい、
次に顔をあげた時の、
あの、
あきらめを含んださよならの目が、
どうしても忘れられません。

住所を聞くこともならずのあっという間のお別れでした。
あのときどうしてせめてM子にかけより、
M子を抱きしめてることをしなかったんだろうか。

今もずっと後悔し続けています。

しみじみと思います。
今の私ならそんなビミョウな問題に、即で、声をあげることは多分しないことでしょう。
でも若いこわいものしらずの時って、何をするかわからないんだなァと、でもあの時M子の心によりそうには、いっしょに「帰ってきて!!」と呼びかけるしかなかったよなァ。
まてよ!
私がアパートのへやのなかのお母さんにならなかったとは限らないし、今M子はどうしているんだろう。

30年以上たつのにウジウジと考え続けてれば、夢にだってみます。

かくして今年も子どもたちみんあといっしょに
おかあさ〜ん! M子チャンのおかあさ〜ん!
と声をはりあげてとび起きる、
そんな初夢を見ることになった私です。

 

ト・ホ・ホ

今年もよろしく。。。

 


2008年11月のたみこさんの部屋

「バザーの楽しみ」

バザーが無事終わりました。

貧乏な幼稚園は年に1回、父母会様(!)にバザーを開いてもらっています。

最初の頃、20万円近くもする大型箱積木を買ってもらいました。
(嬉しかった!!)
四角か三角かの横のところに、「○○年 父母会バザー」とマジックで書いてあるはず。

近ごろは雨もり修理屋トイレ改修などの足しにして!と太っ腹のお母さん方がポンとお金をくださいます。

ありがとォ〜!!

でも

バザーはお金ではありません!(キッパリ)

ご近所、地域のみなさまがこの幼稚園のバザーを楽しみに当日の朝は1時間以上も前から門の前に並ぶんですから。
良い品が安く買える、手づくり品もステキ、小学校用の防災ずきんを手づくりで安く出してくれる卒園児のお母さんもいるし、わたあめやカレーライス、焼きそばなど食関係も充実。子どもが遊ぶコーナーも人気です。

お母さん方はバザーのお手伝いで、
お父さんが子どもたちを連れて食べたり遊んだりして過ごす日でもあります。

リサイクル品は、終了時間近くになると投げ売りになることも多く、その時になぜか

「たみこさん、そろそろはじめます!」

と係の方に呼ばれ、私は「ジャパ●ットタカ●」状態になります。

ハイ! ○○さん、1コ30円のところを3コで百円にしてあげる!(高くなってるつーの!)もってけー!

□□さん、1000円のを100円にねぎってのお買い上げ!ありがとーぉ!

などなど、叫ぶ叫ぶ。

お願いだから大きな声出して名前呼ばないで!
とか言われるけれど、これが私のバザーの楽しみだからしょうがない。

ついには、身内どうして何とかする・・・おすもうさんの絵のついた湯のみ茶わんセットとか、職員にプレゼントしちゃう私です。

なにせ50円もするのをあげちゃう。

泣きそうになって辞退してたけど、
なに?私からのプレゼントが受け取れないってか!?

で、今回もその人に何かを・・・と物色していたら、
もぅ〜 やめてくださいよ。
 家にまだあのおすもうさん湯のみあるんですから・・・

って。

なぁんだ、ご愛用じゃないですか!? ねえ?
そして今年二十歳になった卒園児が

ネエネエ、エンチョーちょっと青年よ。わたしゃ出世して今やたみこさんと呼ばれる身なのだよ♪オレのこと覚えてる?
とやってきました。

覚えてるさ。おひさまみたいな笑顔ふりまいて、
園庭を走り回っていたよ。
その子がしみじみと言います。

かわってないなあ。なんにも変わってないじゃない?
 いいの?これで?

うん。変わらないっていうのもなかなか大変なんだよ

そっかぁ〜 なんかいいなあ。なつかしよなあ。

と繰り返し、くりかえし言いながら、
ずっと私のそばに立っていました。
聞くともう仕事をしているという。

仕事のことや、これからのこと、しゃべりたくて来たのかな・・・

でもその子は自分のことはあまり話さず、「変わらない幼稚園」をただじっとながめて(その頃にいた職員と話したりして)静かにそこにいるのです。

来てくれてありがとう!

変わらない幼稚園はここにずっとあるからサ。
いつでも帰っておいでネ。

これも私のバザーの楽しみ。
大きな楽しみ。

そして毎日毎日、 「アンタは職員か!?」と言いたくなるほど幼稚園に通って準備してくれたお母さんたち。
たみこさん! バザーすごくたのしかったよ!
 準備もなにもみんな仲良しで、ホント楽しかったよ!

と言ってくれる、このお母さん方の笑顔。

これも私のバザーの楽しみ。

私の宝!

 


2008年10月のたみこさんの部屋

「運動会おとな弁当29個!!」

雨も降らず、ケガもなく、無事運動会が終わりました。

楽しかったなぁ〜

が、私の感想です。
年長さんの八木節やとび箱は年中・少のあこがれの的です。
すみれ(年少)は立ってるだけでかわいい!
なんだかしらない急に広い校庭で、おおぜいの人が見ているところに出されて、びっくりたまげて立ちつくしてしまい、はっちゃきになって踊るのは担任たちのみ(!)という笑っちゃう場面も多く見られるのです。

が!!

ばらぐみ(年中)ともなると、こちらの要求も高く、「恥ずかしい」とか「誰がやるもんか」という態度は時として通用しないことがあります。今年もひとり、「絶対にやらない・・」と頑張るかわいいTがいました。

できないのではなくてやらないのは何故か?
ほめたおしては?
踊ってくださいと頼んでみるか?
それとも怒ってみるか?

・・・何度も職員どうし話し合いを重ね、あの手この手で説得を続けますが、どれも拒否してじっと立っているのみのT。

運動会の前日は、
Tにとってのこの状態はどうなんだろう、
またまた職員みんなで話し合いをしました。
この子のために、 このままこの運動会という節目を通過させるのは良くないのではないか?
本人自身も、一歩踏み出せないで苦しんでいるとしたら、
外圧も必要?

年中の子なりに自分を変えようとする時は、
まさに今!なのでは?
その力をTにつけてもらいたい!

と、みんなの意見が一致しました。

最終練習の時、まわりのみんなに
「いつもは踊らないTだけど、今日は踊るハズだから、
 頼むからもう一回踊って!」
と言って、曲を流しました。
(勿論Tにはその前に、担任やまわりの大人がさんざん話した後のコトです)
・・・ところが、Tはやはり指先ひとつ動かしません。

とうとう

そう、とうとう!

たみこさんは怒鳴りました。

踊るのはあなただ!
 みんなあなたといっしょに踊りたいからこうやっているんだ!
 あなたは踊れないんじゃなくて、踊らないんだ!

 あなたの身体はあなたのもの。
 あなたを動かせるのはあなた自身!
 それができないんならばらぐみ(年中)とは言えない。
 すみれ(年少)だ!

すると、いままで冷静にまわりの大人を見ていたTが反応しました。

イヤだ!

うん?

うん!

これは効く!

このTにとって、年中としての誇りは高いんだ。
大きくなりたいとの願いも強いんだ。

なんだかちょっと感動するなぁ〜

と心の中で思いながらも私は大声で言いつのります。
とうとう年少の黄色いバッチまで持ち出して、

踊らないならこれつけて年少のすみれ!

と、これは教育者としてどうなんだ、
あるまじき言動かなぁ、と思いつつも

年中の誇りに満ちているTはすみれ組のバッヂをつけられて、
泣きました。
叫びました。

いやだ!イヤダ!

じゃあ踊って!
(私・・・まるで鬼だネ・・・)

職員も全員が周りを囲み、口々に
「T、がんばろう!」と励まします。
怒りとばしている私にびくつきながら、
子どもたちも心配顔でとりかこみます。

 

また、曲がかけられました。

 

年少のバッジをつけられ大泣きしているTが、
次の瞬間、おどったのです。

担任もまわりの大人たちも、そして何回かみて踊りを覚えてしまった他のクラスの子どもたちも全員いっしょに踊っています。

キャァ〜!Tが踊ったぁ!!

と泣きながら叫ぶ人もいて・・・
私は涙をこらえてTから年少のバッジをそっと外しました。

T、キミは年中だ!

イカイカイルカ、という、どちらかというと笑っちゃう曲と踊りを大人も子どもも夢中で踊っていました。

・・・泣きながら。

終わったとたんに拍手の嵐。
みんなに抱きしめられ、ほめられ、もみくしゃになったTは、もう泣いていません。泣いているのは大人たちだけ。
年長の女の子が、そっとTの頭をなでています。

Tも苦しかったんだよね。意地もあるし、どこで一歩踏み出していいかわからなくなっちゃったんだよね。
でもみんないっしょに踊った「イカイカ」はきっと立ってるだけより楽しいと思うよ。

運動会の当日もしっかり忘れず、底意地悪く黄色いバッジをこっそりもってきたたみこさんを尻目に、Tは大ニコニコでどの種目にも参加。
みんながわらっていた、いい運動会でした。

ところでひとつ、聞いてもらいたいことがあります。

運動会の職員要員は、せいぜい12〜13名。
お弁当はそれくらいあれば足りそうなもの。
でも前に来ていた実習生や職業体験で来ていた中学生がボランティアで来てくれるらしい。でもまさかこんなにはいらないよね・・・と頼んだ職員用おべんとうは、30個。

で、

終わって残ったのは1個だけ。

えぇ〜〜っ!

もしかして、1クラスより多い29人が手伝ったり、食べにきたんだ。

そうか。

こんなにも多くの人たちに支えられた運動会だったのね。

水あそびとプール用の水道代と、
すぐになくなる砂場の砂代と、
そして29個のお弁当代もあるし・・・

さあて、またみんなで力を合わせて、仕事しようっと〜!

 


2008年9月のたみこさんの部屋

「子どもは大人みんなで育てるもの」

先日、近くの駅ビルで買い物をして、トイレに行きたくなって寄りました。

すると個室から飛び出してきた小学3、4年くらいの男の子が「故障中」とはり紙のある手洗い場に突進して、水を出そうとガチャガチャ。

その様子から私は

そこはこわれてます! ダメ(手で×を作る)です。
別のところで洗ってください。

とキッパリ言いました。
その子は顔も見ずに別のところでバシャバシャ洗い、またその故障中の水道に向かい、ガチャガチャして出て行きました。

しばらくすると、女の人の怒っている大きな声

あなたがそこにいるからいけないの!!
 さっきからいってるでしょ!? ダメなの!!

これはあの男の子だ・・・。

トイレの前には船の形の子どもが遊べるようになっているスペースがあります。
どうもそこでさっきの男の子が怒られているらしい。
私は大急ぎでかけつけました。

見ると、小さな男の子がその船の中で遊んでいるのですが、
かの男の子がどうも暴れまくっているらしい。

でも・・・でも、そんなに怒っても・・・。

別の、もっとわかりやすい言い方もあるかもしれない。
こわい顔して怒っている女の人に、おずおずと、
あの〜、軽い障がいを持っている気がしますから・・・
と言ってみたのです。

その子は船の人目につかない場所に移動して隠れています。
そこへ警備員の怖そうな制服のおじさんがやってきて、
なにやってんだ、出てこい!」と、
まるで犯人にむかうケーサツのよう。

わたしはまたおずおずと
あの〜、軽い障がいを持っていると思われます。
 そんなにどなっても・・・

怒っているお母さんは
親ごさんがいないんですよね。親ごさんがいればアレなんですけど・・・
(どうアレなんだろう?)
当然ですがわが子を守ろうと必死。
でも、小さな男の子はそれほど怖がっている様子もなくケロリと遊んでいます。

警備員のおじさんはすがるように言いつのる私には目もくれず、こわい顔してどなるし、勿論親御さんはそのあたりにはいないし。

男の子は、なにかしらないけど「スンマセン」とか言っちゃってるけど、
あんたもネェ〜」と思いつつ、
この子の学校や親御さんやまわりはどうなんだろうと思うとなんとも重苦しくて・・・。

でも、誰もそばでオロオロする私なんぞには目もくれないので、しょうがない。帰るか・・・と、ネギと納豆を買って、

でもなあ。子どもってサァ。
大人みんなで育てるものじゃないかい?

ブツブツ、ブツブツ・・・

深く深くうなだれながら帰ったのであります。
ト・ホ・ホな私。


2008年7月のたみこさんの部屋

「みんなと同じでなくても・・・」

暑い暑い夏でした。(まだ暑い?)

お家で子どもたちがどうすごしているか気になるところでした。
クーラーのきいた部屋でゲームざんまいの日々になりませんようにと。
でも、お父さんは忙しくて疲れ果ててるし、
お母さんが毎日日焼けをものともせずに遊びに連れ出して・・・
という図でしょうか?

何かで読みました。

涼しくて、時間がつぶせる大型ショッピングセンター。そこで毎日のようにすごす子供がいるとすれば、あの色、あの大量の物・物・モノ・・・・
子供に影響があるはずだ

と。

そうかもしれない、と私も思いました。
でもじゃあどうすりゃいいんだ? というくらいの暑さでしたよね。

そしてオリンピックがはじまると、世の中大さわぎですね。

私、やっぱり気になるのです。

日の丸を背負って」
日の丸を一番高いところにあげたい」

そして
じゃなきゃメダルじゃない」

あげく気になったのが、
を獲れなきゃ日本に帰りません!」
と言った選手。

帰ってこいよ!
充分頑張ったじゃないか!
金だって、銀だって、銅だって、
メダルなしだっていいじゃない!

と思ってしまうんですよね。

そりゃたしかにスゴイことだと思う。
逆上がりにとても苦労した覚えのある運動神経のない私は、ただただ尊敬する。

そういえば重量挙げの競技を熱心に見ていた夫に私が
どうして人は、重いものを持ち上げようと思ったんだろうネ
と聞いてしまいました。

夫は私をマジマジと見て、

それを言ったらおしまいでしょ?とにかくキミより体重の少ない(きぃー!ムカツク!)人が100kgも持ち上げるというんだから、大変なことでしょう!」と。

ま、確かに50キロはある私に、この頃子供用の椅子を右に二つ、左に二つが限度かな。
昔はよく保育者どうし、いくつ持てるか張りあったものです。

と、思い出話はおいといて、

オリンピックに興味を持たない人なんていないんじゃないの?と思われるのは、なんか違う気がするのです。

テレビの司会者が水泳の金メダルを取った時の場面を映して、

「この場面を見てない人はたぶんいないでしょうが ・・・ 」

と、興奮気味に話しました。

いいじゃない。
オリンピックに感心がない人がいても。
メダルの数に興味がない人がいても。

金メダルなんてどうでもいいと思うんだ・・・

と言うのが、なんか気が引けるような、
そんな全体的な雰囲気があるのがちょっとこわい、夏でした。

ところで私、この夏は本をたくさん読みました。
お勉強から小説まで。

眠る時の音楽は竹中直人が口笛吹いてるヤツ。
(肩の力が抜けるようなだる〜ぅい感じがスキ)

でも私がどんな音楽聞いてるかなんて、興味ないですよね。


2008年6月のたみこさんの部屋

「一寸一杯お気軽に」

西小岩のホームページは、パソコンの出来ない私を気にかけてくれた甥っ子が友達を紹介してくれて、その人のおかげでやっていけてます。
私はというと、鉛筆で消しゴム片手に原稿を書き、FAXし、携帯のメールで直すところ等のやり取りをします。その人がいてくれてのホームページです。

で、その人に言わせると、「たみこさんのへや」は時々なかなかハードらしく、
どうなんでしょう?
 園を探してるママたちとかは、これを読んでひかないですかねぇ?
 もう少しライトにしましょうよ

等とアドバイスしてくれるステキな人なのです。
でも私は引き下がらず、

オネガイ! ここはけずらないでくれぇ〜〜!

仕方ないですネ。じゃあこれぐらいでどうですか?

等、かなりの攻防戦が繰り広げられるのです。
ありがたいじゃないですか!
こんなちいさな、吹けば飛ぶような幼稚園のために、なんとか力になってくれようと応援してくれてるんですから。

───と、ちょっとほめといて、今月はどうかな〜?
「もっとライトに・・・」と言われてしまうかなぁー。

注)編集者より。今月はノーカットでお送りしますよ(笑)

 

 

先日、おバカな息子の車に乗っていたときのこと。

たみこさん!(もうママとは呼ばない)
 イッスンイッパイお気軽に、って、ナニ?

と不思議そうに道路脇の赤ちょうちんに書いてある字を指さします。

バッカだねぇ。あれはイッスンイッパイじゃないよ。
 ちょっといっぱい、と読むんだよ。

・・・そして私は、その「一寸一杯お気軽に」のいわゆる赤ちょうちん好きなのです。

小岩から少し離れた路地の奥、感じのいい女店主がいて美味しい手作りのおつまみ等をチョコチョコと出してくれて、当たりさわりない天気の話やニュースの話等して、ひとりカウンターのはしっこで大人しく座っている(勿論、お店の人は私に向かい「あんたどこの誰?」なんて決して聞かない)。

そう。

私だってこう見えても辛いこと、苦しいこと、人と心をつなげられない悲しみを抱えていたりするのです。
涙とともにレモンハイを飲むってこと(ん?演歌っぽい!?)そんな時間も必要なんです。
ひとりでちょこっといける大切な店がずっとほしかったのです。

この間もひとりでいたい時があって、そのお店に行きました。
私の他にお客さんは年配のご夫婦が一組いるだけ。おだやかな時間です。

突然、パタン!と音がして、
年配の男の方がイスから床に倒れました。

すこし酔って転んだのかな、と思ったら、声をかけていた奥さんが、どうも様子が変だとあわてています。
私は思わず「呼吸はしていますか?」と聞きました。
すると呼吸をしていないとのこと。
お店の人がすぐ119番をし、倒れた人はじっと動かない。
一瞬どうしよう!?と迷いましたが、近づいて声を掛けてみました。
でも反応がない。

よし! やるっきゃない!

気道確保!

と、その方のあごをあげ、私は馬乗りになって両手を重ねると、その方の胸に置き、「1,2,3,4,5!」と押しました。

研修は受けたけど実際の心臓マッサージは初めてのこと。
でもなんとか助かってほしいとひたすら「1,2,3,4,5!」を繰り返す。救急隊に引き継ぐまでは、と、疲れてもやめるわけにはいかない!

ようやく救急隊がやって来て、AEDを使用するが自発呼吸には至らず、そのまま病院へと運ばれました。

去り際、救急隊員が私のところにやってきて、かわいいキャラクターの描いてあるカードをくれました。
それには「あなたの勇気ある行動に感謝」と書いてありました。

勿論酔いもふっとび、お店の人と
「大丈夫かしら、大丈夫だといいねえ・・」
と言い言いして、私は帰りました。

そんな「勇気ある」私ですが、その方がどうなったかを知るのが怖くて、ずっとそのお店には行けないでいるのです。
口ほどにもないなんとも小心者の私です。
(トホホ・・・)

そこで皆さんにお願いがあります。

私をどこかの赤ちょうちんで見かけたとしても、
これはたぶん似ているけど違う人だと思ってください。
ひと違いだと思ってください。
間違っても「センセ!」等と呼びかけるのはやめてくださいね。
倒れますから。

私はただ、「一寸一杯気軽に」飲んでいるだけですから。
そっとしておいていただけると、ありがたい。


2008年5月のたみこさんの部屋

「先生と呼ばないで」

私は幼稚園でみんなから「たみこさん」と呼んでもらっています。他の職員も「先生」と呼ばれている人はほとんどいないのです。
ときどきいろんな研修会に出ると、休憩時間とかスゴイですよ。

先生! 先生、センセ、センセーイ

あっちもこっちも「センセイ」だらけ。気持ち悪いくらい「先生」のてんこもり。

私は、子どもがはじめて出会う身内以外の大人を「先生」と呼ぶのは、いかがなものかと思うのであります。

でも・・・かくいう私にも、心から「先生」と呼びたい人が何人かいます。夜間中学でずっと教えていらっしゃった見城先生や、子どもの笑顔を守るためには戦う強さを持て!と励ましてくれる宮崎先生は、どんな時でも私の心に住んでいて、支えてくれています。

そしてもうひとり、ずぅ〜っと前から(ゴメン。数が数えられなくて・・・たぶん20年くらい?前)週に一度子供達にお話を聞かせに来てくれている藤田浩子さん

この先生は保育者の時期を経て、今は日本全国、そしてアメリカの学校などからも呼ばれて民話を語り、保育学校等で講師もつとめ、本も何冊も出すという人。
日本でというよりストーリーテラーを大切にするアメリカで「○○賞」とか「××賞」とか(英語だから覚えられない。たぶん本人も忘れて・・・)ももらったらしい。
いってみれば、知る人ぞ知る有名な人なのです。

はじめはどなたかの紹介で、子供達に民話を語ってもらうためにおよびして、その面白さに私たち大人もすっかり魅了されてしまい、何回か来ていただくうちにご本人の方から、「年に何回か語って○○万円いただくなら、それをばらして週に1回くるということではいかが?」と言っていただき、ありがたくも厚かましくも、お受けして今に至っているのです。

このお話しは、この年令の子にこういう反応なのね」等、「この幼稚園は実験材料よ」と笑って言ってくださるけれど、
なんというぜいたくな西小岩の子どもたち!
と私はいつも思っています。

園舎はボロいけど、こんなすご〜い人もいるんだぃ!
(自慢!)

週に1回来て、子どもに語ってくれて、私は私でその日まで、これは藤田さんならどう考えるだろう、これは藤田さんに聞いてもらおう・・・という思いで待っているのです。
そんな大切な人です。
でもいざ話すと、たいていは「ハハハ、そんなもんヨ」で終わるのですけどね。

いいのいいの。
ふじたさんに聞いてもらうだけで気がすむの。

そんな藤田さんと私。
たまにはおしゃべりする時もあるのです。
あるとき二人で「いくつくらいまで仕事したい?」と話しました。

私は
いろいろ考えたけれど、やっぱり・・・死ぬまで仕事していたいかも
藤田さんは
私も・・・すっと幼稚園に来る」と言ってくれました。
(う、うれしい〜〜っ)
じゃ、ふたりとも幼稚園で死ぬまで仕事しよう。
こうるさいバァさん二人が幼稚園をウロウロしていて、みんなにジャマにされるかもしれないけれど、知ったこっちゃないよネ。ず〜っといようネ!
と励ましあい、盛り上がりました。

そう。
私は事務所でパタッと倒れて死にたい・・・。
するとたぶん心臓のあまり丈夫でない藤田さんは、倒れている私を見てびっくりして倒れるに違いない。
事務室に私と藤田さん二人がバタバタとたおれている、ってことになるのネ。

となると、
その後事務室に入ってきた人は、発見して驚くネェ。
気の毒に・・・

でも、ま、その人は運が悪かったということで。

そういえば藤田さん、最初にお会いしたときに、こう私にむかい高らかに宣言したっけ

私をよぶ時は藤田さんと呼んでください。
 先生と1回呼ぶたびに100円いただきます!
 私を先生とよばないで!

と。

ハイッ!!

わかりました。藤田先生!


2008年4月のたみこさんの部屋

「みんなといっしょがいい」

ここ西小岩幼稚園には、障がいをもつ子がいます。
なかにはわざわざ引っ越してくる子も。

H(担任よりもたみこさんが好き、という、なんとも女性を見る目がたしかなかわいい男の子)もそうでした。近所の幼稚園をいくつも回ったけど、全部ダメで、ようやくここにたどり着きました、と。
入園できるなら引っ越してきます・・・と。

この3月に卒園していったSは、年少で入園する園がみつからないで、一年療育にだけ通いながらすごし、年中からやってきました。
入園のお話しを決めて門まで送って行ったとき、返事をするわけでもないSに、やさしい静かな声で話しかけるのが聞こえました。

良かったね・・・・。幼稚園、入れるって。

どんな思いで言ったのだろうかと、私は涙が止まりませんでした。
(入れるよ。入れるに決まってるじゃない!)

そして、ワクを決めている訳ではありませんが、クラスに一人はいわゆる障がいを持つ子が仲間としています。今年度入園したAはSMA(脊髄性筋萎縮症:せきずいせいきんいしゅくしょう)という病気を持っています。
Aもまたあちこちの幼稚園から断られて西小岩にやってきました。

お母さんと入園について話し込みました。

Aはお母さんのヒザのなかにいて、砂あそびをしながら・・・暖かな日差しがAの髪をゆらし、Aはおだやかな笑顔で砂あそびを楽しみ、お母さんは涙をこぼされながら、「Aを幼稚園に入れたい・・・」と話してくださいました。
断る理由はいったいどこにあるのでしょう。SMAの子をお預かりした経験はなかったし、どういうことになるのかはさっぱりわかりません。果たして私たちでAの楽しい幼稚園生活を保障できるのか・・・。

そして、この間年中になったMも今はひとりで歩くことに奮闘中!
私たちにたくさんのことを学ばせてくれています。そんないとしのMもいて。

Aはおしゃべり好きの輝く笑顔が美しい女の子です。手指を動かして食べたり遊んだりしますが移動はだっこか車イスが基本。
そこで、お母さんは区に対して電動車イスを申請したのですが、学齢に達していないとダメだとか・・・。
係の方に、幼稚園で安全が保障されてるんですか?と聞かれたとのことですが、あぁ、この園庭では三輪車の「族」がふっとんでいるし、責任もてるかと聞かれれば、とにかく安全には全力で気をつけます、としか言えませんし、障がいのなかみをしっかり理解しているかと聞かれれば「勉強中」としか言えません。

ただ、Aといっしょに過ごすこと、障がいがあろうがなかろうが、そこにいる子を自然に受け入れる園児たちと、手をつなぐこと、支え合うことを大切に思うお母さんたちといっしょに、全職員がAといっしょに大きくなる!と思えること。

正直それしかないのです。

そう。私たちにはこの西小岩幼稚園が大好きと言ってくれる園児たちがいて、この幼稚園を信頼してくれるお母さんたちがいるじゃないか・・・。

やっぱりお断りするべき理由はどこを探してもなかった!!

さて、そこで入園の準備の時のことです。
用品をそろえるとき、クレヨンやら画帳やら、園服やら etc....
これから幼稚園で使うピカピカの用品たち!次々とり出していくなかに、なわとびがありました。
Aのお母さんがいいます。

あ〜あ。なわとびは・・・、どうしようかな。使わないかな。

私もハッとしました。

でも
お母さんがつづけます。

ま、いいかな。用意しときましょう!

・・・そうだね」と私。

Aはなわとびはしないかもしれません。
でも、このとき、Aのお母さんと私との心はしっかり通じ合うものを感じました。
だって、Aの口癖は「みんなといっしょがいい!」だから。
あの子はどんなときでも、なにをするにも「A、どうする?」ときくと必ず、「みんなといっしょがいい!」と力強く、はっきりとこたえるのですから。

サァ!Aの幼稚園生活のスタートです。

合言葉は、
「みんなといっしょがいい!」

 


2008年3月のたみこさんの部屋

「冷たい職員室」

先月の夕方、私は職員室の古いスチールいすの背もたれに思いきり背中をあずけて、となりの直子ちゃんとかなりむずかしい話をしていました。

すると突然

パキーン!!

という音とともに、背もたれ部分が外れたのです!

でも、そこは若さと瞬発(しゅんぱつ)力のたみこさん、えいやっ!
と腹筋を使って体勢をたてなおすことができました。
うしろにひっくり返ったらたいへんなことになるところだった・・・となりの直子ちゃんが少し遅れて私の腕をとって支えようとしたけど遅い!

まわりのみんなは
だいじょうぶ?
びっくりした!
とかいろいろ言ってるけど、心なしか目が笑っている。

そういえば・・・
と前に座っている「じゅんぞう」(男性保育者)が、語りはじめた。

「ずっとまえ、職員室で座っていて、何かをとろうとしてバランスをくずして、あぁ〜っと思ったら椅子が回ってちょうどそこにあったゴミ箱にすっぽり頭入っちゃって」

そうそう。そんなこともあったっけ。

その時はみんな指差して大笑いして、むかいに座ってた純ちゃんなんかあわててカメラをとって机をのりこえて、その様子を写真にとってたもの。

オレ、さびしかったスヨ。 
 ごみ箱の中で笑い声ばかりがひびいていて・・・

そうだった。

みんなひとしきり大笑いして、写真をとったりしたら、そのまま何事もなかったかのように、仕事にもどったよね。

椅子から落ちそうになった私はヒトゴトではなく、聞いてみた。

それで、じゅんぞうはどやって頭からゴミ箱はずしたんだっけ?

「何言ってるんスか! しょうがないから

たすけてくださーい!

って叫んだんスよ。

・・・そっかぁ。
冷たいもんだね。
でも、たしかにあの時はゴミ箱にすっぽり頭を入れてもがいているじゅんぞうみて、すごく笑った覚えがある。

じゅんぞうはしみじみ続ける。

冷たいもんスヨ。
 人間はひとりスヨ。
 誰も助けちゃくれないスヨ・・・・

そうだね。
よくわかるよ。
私だってさ、後ろにもんどりうってひっくり返ってたら、ぜったい頭打ってるし、けがしてるよ。

みんな私がいなくなったらどうするの?

苦労ばっかさせて、コキ使って!
大事にしとけばよかったって後悔したって遅いんだからねっ!!

じゅんぞうは言う。
誰も助けちゃくれないスヨ。ゴミ箱の中は真っ暗っスから。
うんうん。わかるよ。
とうなずく私。

ぐちはいつまでも続き、あきれ顔の職員たちは、

お先に〜
おつかれさまでした〜

ひとり去り、ふたり去り、冷たい職員室からつぎつぎ消えていくのでした。

それにしても、ゴミ箱にあたまつっこんでもがいているじゅんぞうをおもいだすと、
いつでも笑えるなぁ。

4月にふさわしいテーマで・・・・・
 新入児のママたち、びっくりした?


2008年2月のたみこさんの部屋

「直子先生逮捕か!?」

現年長まつ組担当、直ちゃんが前回卒園させた時
(うん!? もう3年前か〜!)
夏の大イベントお泊まり会を終え、
一晩離れていたわが子の元へ大急ぎで車をとばして帰宅途中のこと。

思わずスピードが出ていたのでしょう。20キロオーバーでばっちりとお巡りさんにつかまってしまいました。

そりゃ直子が悪い!
スミマセンだヨ・・・。

でも、

そのいわゆる「きっぷ」を切られるときの書類作成の長さヨ・・・。

私子供が待ってるんです
早く帰らなきゃならないのでスピード出してしまったんですから〜

何を言っても書類はなかなか作成されず、
後に残ったのはわが子の待ちくたびれた顔と、罰金のチケット。

嫌なことは早く済ませてしまおうと翌日の振り替えのお休みに、もらったばかりのボーナスを握りしめ(とほほ・・・)支払いに行ったら、今度はまだ書類ができていないということで、支払いできず。

そのままズルズルと2年(!)がすぎ、ついに、職場である幼稚園に警察から電話がきたのです!

 「うちの園長怖いんです。
  罰金払いに行くので時間くださいなんて、
  とても言えないんです。
  ウチの園長オニなんです。アクマなんです。」

なんて言い訳も通じず、
1度払いに行ったのに払えなかったのはそちらのミスですよね!
と言い返したところ、先方もカチンときたのか、

こちらも待つだけ待ったので、もう逮捕しかないんですよね・・・

と!

(ガーン!!)

これを聞いた職員室の

盛り上がったことといったら(笑)

 Xデーはできれば卒園式後、お別れ会が終わった頃に、とか
 パトカーから警察手帳片手にバラバラと刑事が・・・ とか
 卒園式後で袴なのに、頭からジャンパーかぶせられちゃう!
 やっぱり手錠は隠さずバッチリ撮られちゃう・・・
 ワイドショーで「幼稚園教諭、卒園式後に逮捕!!」
 子供たち、ママ達がずらーっとならんで
 「直ちゃん、いってらっしゃ〜い!」って紙吹雪で見送ろう

などなど・・・・

あんまりみんなが盛り上がるから、本人もその気になって
なるべく早く保釈金で出してくださいね」って・・・・。

みなさん、

ブレーキははやめに、スピードは控え目に!

 

注意:ふざけすぎとか、それでも教育者か?
   等のおしかり、おこごとのたぐいは受け付けられません。


2008年1月のたみこさんの部屋

「K!!」

これは書いていいのかよく分からないのです。
でも書きたいのです。
だから読んだ人はココだけの話にしてください。タノミマス。

明けておととしの秋のある日のこと。門のところに

「スンマセーン!」

という声
見ると、ハンチング帽にサングラス、太い(金)のネックレスブレスレットオーストリッチのセカンドバッグをこわきにかかえた小柄な怖そうなオジサンが立っているではありませんか。

あぁ、この場合誰が矢面に立つのかというと、
やっぱり私しかいないよなァ〜、としみじみと納得して、

「ハイ、なんのご用でしょうか?」

と聞くと、なんと子どもを幼稚園に入園させたいとのこと。
「西幼」にたどりつく前に別の幼稚園に行ったら、
やれ「途中から入ると慣れにくい」
やれ「以前も慣れないで大変なことがあった」
などと言われ、結局断られてしまったとのこと。

でも、どうしても金のネックレスやシマシマの上着に目が行っちゃう私ですが、話を聞くと、なんだ普通のお父さんなのネ。子供を入園させたいと願うお父さんなのネ。
他で断られたと聞くとがぜん入園させたくなる私は、

「大丈夫よお父さん、入園できます。ところでお母さんはどこ?」

聞くと、断られたショックで、今、電信柱の影で泣いているとのこと。

「呼んでよ!大丈夫よ!」

お父さんオーストリッチのバッグをかかえなおして、

「オーイ、オーイ」(お茶かっ!?)

呼んでも、来ない。
私は上ばきのまま道路に出て迎えに行くと、ほんとうに電信柱の影から女の人が泣きながら出てきました。
思わず肩を抱いて
「大丈夫よ。幼稚園入れるからね。」
と何度も話しました。
ついてきた男の子「K」は、嬉しそうにすべり台をのぼりはじめ、幼稚園入園が決まったのです。

お母さんは韓国の方でしたが、言葉もどんどん上手になり、子どもも友達がすぐできて慣れないなんてウソ!楽しく過ごしていました。

でも、Kのママはビザ切れで申請中だったのよね。
金のネックレスのパパがグズグズしてるから、私はパパに「ちゃっちゃとせんか!!」とはっぱをかけていたのです。
ママいわく「パパはたみこさんには弱いです。言うコト、聞きマス」と言ってたから。

でも申請から許可までは大変時間がかかること、どうしても引越しなければならないことなどが急に浮上してきて、パパはもう、「心機一転新しい土地へ行く」と言って住むところを探している、とママが涙ポロポロ流しながら話しに来ました。

エッ!?

だってKはこの間年長の歌劇「オキクルミ」で力強く歌い、
みんなに感動を与えたばかり。
小学校にも頼んだし、
年長みんなで元気に元気に前を向いて小学校へ!!
というこのときだよ!!

必死で止めましたが、結局、 ママはパパのところに行く、 と決意をのべました。
お母さんの不安な気持ちも知っているし、
Kもこの幼稚園からはなれたくないハズ!
退園させたくない!  との気持ちでいっぱいでした。

でも、私は知ってるのよね。
パパもまた、在日の2世か3世で、Kのハルモニたちは、もしかしたら日本に無理矢理連れてこられて、名前を二つ使い分けたりしながらようやく、ようやく生きてきた人なのかもしれない。
そうやって苦労して苦労して、いろいろイヤになっちゃったのかも・・・。

K、本当に行っちゃうのか。

ママがその決意をした日、年長さんは柴又の帝釈天にあそびに行きました。気持ちのせいか、足が痛いとひきずっているKが心配で
「茂夫さんの車で帰る?」
ときくと、必死に

「いい! いい! みんなといっしょがいい!」

その顔を思い出すたびに私は泣いています。
ずっと泣いています。

卒園式にはきっと来てね。
別れを惜しむまつ組みのみんなの声がいつまでもいつまでも響いています。

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